未来を拓く授業デザイン〜学びに向かう力を身につける〜教科の視点道徳ー 特集の視点教科「美しいもの」を感じ取る心情児童物語教材「美しいもの」が報われる作品世界現実の人間・世界信頼感 道徳科の内容項目の中でも「D 主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」の「感動、畏敬の念」は、授業で扱いづらいというお話をうかがうことがあります。「考え、議論する道徳」を通じて多面的・多角的な理解・判断を深めようとするときに、「感動」「畏敬の念」という個人の感じ方に関わるものを取り上げるのは議論になじむものなのか、という問いがあるのかもしれません。 内容項目の説明には「美しいもの」「気高いもの」とありますが、何を「美しい」と感じるかは一人一人違っていてよいのではないかと考える時代に私たちは生きています。しかし、例えば「このいじめ方は洗練されていて美しい」などという意見を、道徳教育の観点ではそのまま受け入れることができないでしょう。美というもの一般は、善と必ずしもイコールではありません。だからといって教師が「これが望ましい美です」と児童・生徒に提示するのでは、いかにも価値の押しつけになってしまうというためらいがあります。どのような意見も多様性の名のもとに尊重してよいというわけではないが、画一的な感じ方・考え方を強制してもならないという道徳教育全体に通じる緊張関係が、この「感動、畏敬の念」ではいっそう強く表れやすいのです。 この問題をふまえて、教育出版の小学校道徳教科書『はばたこう明日へ』の教材とねらいについて確認してみましょう。1年生『七つのほし』、2年生『しあわせの王子』では、ねらいはいずれも「心情を育てる」こととされています。もちろんそれは、判断力や意欲・態度と結び合っています。教材を通じて各児童が「美しいもの」に感動する自らの心に気づくことが第一歩であり、その感動について意見交流することで何が美しいのかについて多面的・多角的に考えを深めること、そして「美しいもの」をより広く深く感じ取れるようになった心で新たな「美しいもの」を探し求めていこうとする意識を高めることが、ここで目ざされているのです。 そのために展開される授業の中で、各教材は児童からそれぞれの感じる「美しいもの」を引き出していく素材となります。『七つのほし』では、相手を思いやる女の子や母親の心の美しさに、児童が気づいていくでしょう。人間の心の美しさ・清らかさは、この内容項目を扱う教材で共通に描かれる対象となっています。これに対して、金色や銀色に輝くひしゃくや、ひしゃくの中からとび出したダイヤモンドからなる北斗七星もまた、教材に登場する「美しいもの」です。これらは「てびき」の発問例にもあるとおり、登場人物たちの心の美しさがかたちをまとったものです。もちろんこのお話はメルヘンであり、現実世界で私たちの心がこのように直接かたちを結ぶことはありません。しかし、日々の教室での掃除や整理・整頓、家庭で家族がしてくれる身のまわりの世話などを通じて、自分や身近な他者の思いやりが美しさ・すがすがしさを生み出してくれていることに、児童は気づけるでしょう。さらに言えば、教材が物語る北斗七星の美しさとは、私たち人間と、私たちが生きるこの世界全体が、一人一人がお互いを思いやる心の美しさに報いることのできる美しい存在なのだということを、星座の壮大さによって指し示すものです。人間や世界に対するそのような信頼感を育むことによって、児童は自分自身や他者のふるまいの中に「美しいもの」をいっそう感じ取り、自らもまたそのような「美しいもの」を誰かに送り届けようとする意識を高めるでしょう。 美と善が交わるところには、このような相互贈与としての関わり合いへの手がかりが存在します。世界初の教育学者の一人であるヘルバルトが述べている(『世界の美的表現 ――教育の中心任務としての――』)ように、道徳的価値を現実世界の中で一人一人の個性と相互関係を通じて表現していくことが、教育的な意味での「美しいもの」なのです。22「感動、畏敬の念」の扱いの難しさ道徳教育における「美しいもの」「感動、畏敬の念」の学びに向かって広島大学大学院人間社会科学研究科教授 山やま内うち 規のり嗣つぐ道徳
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