特集の視点教科輝いて生きるための自分デザイン教科の視点国語ー 6 学校には多様な子がいる。それは決して美しい話ではありません。興味・関心の差や学び方の差はもちろん、家庭環境や能力など、ときに残酷にも見える差もあります。こうした「差」をうめてやりたい、自分の関わりで、全ての子に等しく力を伸ばしてやりたい……そう思って意気込んでも、なかなかうまくいきません。むしろ、個体差を受け入れずに、どの子にも等しく力をつけさせようとするとき、教室は多様性が認められない息苦しい場になる危険すら秘めています。 実は僕自身が、そうなりがちなタイプです。単元の目標をつい全員に達成してほしくなる。そのあまり、勉強が苦手な子や嫌いな子に対しても、なんとかこちらの用意したレールにのせようとしてしまう。そんな失敗を、今だって何度も繰り返しています。 でも、本当は「差」をうめることなどできないのです。教室の多様性は、そこにあるものとして、僕たちはそれを受け入れる必要があります。 むろん「受け入れる」ことと「あきらめる」ことは違います。むしろ、多様性が認められる安心に基づき、どの子もいきいきと過ごせる教室でこそ、子どもたちに学びに向かう意欲が生まれてくる。教室の多様性を受け入れることは、子どもたちが学ぶことを自分のものにするための大前提かもしれません。 僕は今、軽井沢風越学園という私立学校で小学5・6年生の混合クラスを担当しています。学力による入学者選抜はなく、特別な支援が必要な子も含めて一緒に学ぶ、インクルーシブな学校です。ずっと高偏差値の私・国立校に勤めていた僕にとって、ここは遅まきながら教室の多様性に直面する場所でした。 僕はそれまでも「ライティング・ワークショップ(作家の時間)」「リーディング・ワークショップ(読書家の時間)」とよばれる授業に関心をもってきました。これは、子どもたちが自分で書く題材や読む本を選ぶことを核とする実践で、通常の授業よりもはるかに「個別最適」で「多様性を受け入れている」ように見える実践です(この実践について関心のあるかたは、後掲の参考文献をご覧ください)。 しかし風越学園に来て、ぐっと多様度を増した子どもたちを相手にする中で、僕は、「ライティング・ワークショップかどうか」という形式ではなく、どんな授業であっても、どの子もいきいきと過ごすために、次の点を心がけて授業をデザインすることが大事なのではないかと考えるようになりました。(1)「幅」の広い課題を用意する 多様な教室のどの子もいきいきと学ぶには、どの子も関われる、「幅」の広い課題が必要です。力のあるあの子や苦手なあの子の姿を思い浮かべながら、どちらもいきいきと動ける課題はないか、そう考えてみましょう。 僕は近年、ライティング・ワークショップで「自由に書いていいよ」ではなく「テーマ」という形で制約を設けるようになりました。これは、「視点を変える」や「何かが起きた」などのお題を僕がテーマとして子どもたちに与え、彼らはその制約のもとで物語やエッセイなど自由なジャンルや題材で書く、というものです。 例えば「視点を変える」というテーマでは、書くのが苦手な子は「『桃太郎』を鬼の視点で書きかえる」など、既存の物語をベースに書き進めます。逆に得意な子は、教科書を参考に、2人の視点が交互に出てくるお話を書くこともできます。意見文を書きたい子は、視点を変えて物事を捉える文章を書くこともできる。動物の視点で詩を書くこともできる。 まだ試行錯誤の途中ですが、こういう「テーマ」をおくことで、多様な子どもたちがそれぞれ自由に発想をはたらかせ、かつ個々の力に応じたチャレンジも生まれるのではないか、と考えています。もちろん、そう簡単に見つかるはずもありません。けれど、僕たちがそこに向かって教材研究をすることは、決定的に大事ではないでしょうか。教室の多様性を受け入れるどの子もいきいきする授業デザインとは?教室の多様性を受け入れる授業デザイン軽井沢風越学園教諭 澤さわ田だ 英えい輔すけ国語
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