ともにはぐくむ共育のツボ28 こんどうしょういち 私は小学校に入学した時から、週に1回は親が学校に呼び出されるほど問題を起こしていました。ですが、担任の先生は、私のことを問題児だと見捨てることをせず、私に、どうしてそんなことをしたのか、なぜしてはいけないのかなどを根気強く教えてくれました。その時は、ただ、したいからしているだけ、理由もなく、当時の私には何も響きませんでした。 ある日、私がしていないのに、私のせいになった問題がありました。その時は、周りの先生もまた私がやったと思い、注意を受けました。その時に、担任をしていたその先生だけが最初から私のことを疑うのではなく、私の話を最後まで聞いてくれました。そして、問題を解決してくれました。 その時に私は、私のためにここまでしてくれる先生を悲しませることをやめようと思い、問題を起こすのをやめました。この経験から、人間としてみんなが信頼できるような人になろうと思いました。 教師をしていると、とかく「手のかかる」子どもたちに、まさに「手をやく」ことが多々あるものです。手を変え品を変え、やさしく、親切に声をかけ、その子によかれと心を砕く、それが教師の日常でしょう。教師も人間ですから、何度言っても同じような問題が繰り返されると、「まったくあの子は!」と我慢も限界となってきつい言葉を投げかけてしまったり、「あの子は〇〇だからしかたない」と冷めてしまったりすることもあります。子どもを客観的に把握するのも大切ですが、それで子どもが変容するわけではありません。 子どものよりよい変容のために教師には何が求められるのでしょうか。大学で学生を対象に調査した「人格形成につながった教師たちとの出会い」について、集めた体験談を例に考えてみましょう。 玉川大学教授・神奈川大学特任教授等を経て現職。著書『実践 教職論―未来の創り手となる子どもたちのために―』ナカニシヤ出版、『モバイル社会を生きる子どもたち―「ケータイ」世代の教育と子育て―』時事通信出版局、『子どもの危機と学校組織―苦悩する学校を救う■は教師の生徒指導力向上とチーム力』教育出版全国各地の先生がたのアイデアを詰め込んだ「共育のツボ」。「ともにはぐくむ」をテーマに、子どもたちとの関わり方や学級経営の工夫、先生ならではのお悩みとその解決法など、日々奮闘する先生がたの情報共有の場となるようなページをお届けします。 ここでの担任の先生の姿勢は終始変わっていませんが、子どもには「私のためにここまでしてくれる先生」という認識が生まれ、「先生を悲しませたくない」という気持ちが生じています。この「悲しませたくない」という気持ちは、「先生を大切に思う気持ち」が生まれたことを示し、それは自分自身の大切さに気づいたからこそもてた、他者への思いなのです。このように、子どもは自分の価値を実感できる他者との関係性によって、自らを成長させます。子どもに向き合い、成長を信じて支え続ける教師の専門能力の基には、子どもを受け止め続ける「人格性」と、子どもにとって意味ある存在となる「関係性」が求められるのです。教師という仕事は、子ども一人一人に向き合い、その関係性において相互の存在価値を確かめ合うなかで、ともに人格を磨いていくことのできるすばらしい職業なのです。「手のかかるこの子」も、他者との間で自己の大切さを実感したとき、自己実現に向けて歩き出します。その時、教師はどんな関わりをしているのでしょうか。考えてみましょう!「手をやくあの子」「手のかかるこの子」近藤 昭一神奈川大学・北里大学非常勤講師
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