教育情報誌 学びのチカラ e-na!! vol.7 (小学校版)
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提言グローバル社会において自分自身と向き合う重要性4 日本の教育には「◯◯は許されない」が多い気がします。「いいやん、やってみたら」「いいやん、失敗したなら違う方法でやってみたら」と許される雰囲気を作ってあげる必要があります。失敗が許されることが重要。今はそれがとても少ない。大人が子どもたちに心理的な負担を無意識にかけてしまっています。子どもの自立のためには、大人が無理に介入する必要はありません。 これから重要なのは、学習者本位の教育だと考えています。現在の教育システムでは、カリキュラムの進行が重視されるあまり、学習者の好奇心や興味が十分に反映されていないように感じます。グローバル化の中で最も求められるのは、自分と向き合い、自分の文化を理解し、さらに自分の立ち位置がわかったうえで、他者と関わること。今の子どもたちに、どうやって自分の道を開拓していくか、自分自身で考える力をつけさせることが大事です。それをどのように教育課程に盛り込んでいくかが課題だと思います。 これから支配的にいろいろなものが入ってきます。それらに対して準備しておかないとアイデンティティ・クライシスに陥る子が増えるでしょう。「軸」を教える教育をしてきていませんから、自分の軸がわからない。軸って暗黙の了解にあるんですよ。あなたの軸ってこれですよって他人から言われて、自分自身がそれを自覚して育てていかないといけないのに、日本では意識すると我が強いからだめ、となってしまうことが多い。だから、軸をもたないほうが日本社会では生きていきやすい。曖昧でグレーゾーンがあるほうが「いい人間」に育てられやすい。でもこれからはちゃんと軸があって、自分と向き合えて、誇り高く文化ももっていく、そういうことが重要だと思います。 そのような中で、私は外国語を重視する前に、ちゃんとリベラル・アーツ教育を徹底しないといけないと思います。これは大学でも同じことです。最近多くの大学はリベラル・アーツ教育の大事さに気づいているようですが、小学校段階から始めてもよいのではないでしょうか。子どもたちが自由に考え、好奇心をもって、無理にフレームに合わせなくてもいい。大人も子どもたちを無理に抑え込まなくていい。このような学びが必要だと考えています。 我々は教えることに執着しすぎています。先生は教えてくれる人ではなくて、子どもの考えをじっくり聞いて、それならふさわしい道があそこにあるよ、と見せてくれる人なんです。子どもたちは、本当は対話相手、話を聞いてくれる大人が無性に欲しいのです。家で親にも言えないようなことも先生には言えるよ、という一種の「共犯的な存在」を求めています。現在の教育現場では、なかなか難しいことだと思いますが、先生には本来そのような役割があると思います。 現在の教育では、理数系の教育が重視される一方で、文科系の教育が削減される傾向があります。しかし私は、理数系と文科系の両方が重要だと考えています。専門分野を分けるのではなく、両者の相互作用を意識することが必要だと思います。STEAM教育(科学、技術、工学、芸術、数学の統合的学習)などのように、異なる分野の関連性を理解し、多角的に物事を見る力を育むことが重要です。思考の流れは一方向ではないということにはみなさん気づいていることと思います。例えば、芸術の分野で緻密なデザインやページレイアウトをするためには、数学の知識が必須である、というように、それぞれの親和性への意識が大切です。 我々が専門を孤立させてしまったんですね。各分野どうしの壁を高くしてしまい、学習者が行き詰まったときに他の領域に行けない、と感じてしまう状況を作ってしまった。これは世界中で同じ問題を抱えている。でも実際には、専門は行ったり来たりしているのです。何かを究めている人は、数学ができて、詩も書けて、絵も描けたりする。 理数系と文科系の枠を超えて、自分が進みたい方向で必要な知識を学びながら、自分の道を開拓することが大切です。学生たちと接していて感じるのは、中学・高校までしか勉強していないのに、○○系などとすぐに言いたがる。理系だ、文系だといわれると性格まで変わってしまいます。「自分はどちらかというと文系なんです」「理系だったから賢いね」などと簡単に言う。「リケジョ」なんて言葉も耳にしますが、意味わからないでしょ。なんやねん!(笑) 国の方向性にも影響されていますが、彼らは理系の学習をすると自分の価値が上がる、文系だと恥ずかしくて言えない、みたいな価値観をもっていたりします。でも世の中を動かしているのは圧倒的に文系の人々ですよね。どっちやねん!(笑)学習者本位の教育理数系と文科系の融合

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