教育情報誌 学びのチカラ e-na!! vol.8 (小学校版)
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“”“”“”7明日へと一歩 踏み出せるように言葉は生きている「勘ちがい」が大事てあげられる存在になってもらいたいなと思います。私は高校生のとき、ライターになりたいと先生に言ったことがあるんです。でも背中を押してはもらえず「ライターになるって難しいんだ」とあっさり思ってしまいました。子どもの頃って、何かをやり遂げたわけでもないし、自信なんかない。大半の子どもが、私みたいに揺れて「無理かな」と思うことがあると思います。それを心配したり否定したりする必要はまだないかなと思います。可能性はゼロではないし、例えばサッカー選手にならなかったとしても、サッカーに関連した仕事に就く可能性もある。「がんばれ」と言う必要もなくて、迷っている子がいたら、ぽんと背中に手を添えて「だいじょうぶだよ」と言ってあげるくらい。そのくらいの存在が、子どもにとってうれしいのではないかなと思います。 子どもたちには「勘ちがい」をしてほしいと思います。私が物語を書き始めたきっかけも、息子に絵本を読み聞かせながら「私も書けるかも」って勘ちがいしたことです。「勘ちがい」という言葉はネガティブに捉えられることが多いですが、まんざら捨てたものじゃない。なんでも継続は力なりで、勘ちがいし続けたら、何かにつながるかもしれません。 あと、子どもたちには、大人になることを楽しみにしてもらいたいです。「大人になるのが嫌だ」と言う子もいるけど、大人の世界って楽しいから。世界は広いし、いろんな人がいる。今つらい思いをしている子がいたら、必ずあなたに合う人はいるし、あなたの居心地がいい世界は必ずあるから、楽しみに待っててねって。それを伝えたいです。インタビュー完全版はこちら!えるようにと思って児童書を書いている人はたくさんいると思います。でも私は、あくまでも自分が書きたい、知りたいと思う子どもを書きます。子どもって、小さくても大きくても、必ず何か抱えていると思うんです。その子が、どうしたら明日へ一歩踏み出していけるのかを知りたくて書いています。それを読んでくれた子どもたちが、ほっとしたり、笑ったり、共感したり、心に何か受け止めたりしてくれたら、それにこしたことはないって思います。に決めることはなんですか。 いうことです。そこからスタートしないと、書いていてもおもしろくありません。書き始めるときは、結末がどうなるかなんて全然わからないんです。最初から「これを言いたい」と思って書くと失敗するので「この子はどうなっていくんだろう」「この子だったらどうするんだろう」と想像しながら書いていきます。自分で書いているのに、登場人物が思いもよらないことを言ったり、なるほどと思うような行動をしたりもします。そして「これを言いたかった」というのが、書き終わったときにやっとわかります。そういうのが、書くって楽しい。苦しいけど楽しいなって思います。 ただ、私が書く物語の着地点というですか。葉っていうのは、その人そのもの、その人をいちばん表すものだなと思います。言葉は、人を救ったり癒したり励ましたりする一方で、人の命を絶たせてしまうこともある、怖いものでもあります。 どの言葉をどうチョイスして発していくかは、その人自身を表します。だから、言葉を乱雑に扱ってはいけない。自分を乱雑に扱うことと同じだからです。自分を大切にしたかったら、言葉も大切に。人に対しての言葉も同じだと思います。 物語を書いていて、幾つか言葉の選択肢がある場合は「この子だったらどう言うか」を考えます。だからあえてきつい言葉を書くこともあるんです。私たちが使っている言葉は生きているから、本当につらいとき、腹が立ったときにきつい言葉を発するのは、その子なりにしかたがなかったこと。その子が言わずにいられなかった言葉であれば、それは決して、言葉を乱雑に扱っているわけではないんです。メッセージをお願いします。Q いとうさんにとって「言葉」とはなんA その人が口にする、あるいは書く言Q 最後に、先生がたや子どもたちにA 先生がたには、子どもの背中を押しのは必ず決まっています。しゃがみこんでいた登場人物が立ち上がることができたり、明日へと一歩でも、半歩でもいいから踏み出していけたりする。そこまで書きます。日常を書いているので、大団円で終わるということはないんですが、子どもが「人を信じてみてもいいかも」って思えるくらいの物語を書きたいなと思っています。Q 物語を書かれるとき、いちばん初めA 誰を書きたいのか、知りたいのかと

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