教育情報誌 学びのチカラ e-na!! vol.7 (中学校版)
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音楽教科の視点の視点教科 オペラは、さまざまな要素を包含する複合的な舞台芸術として誕生しました。教養の高い層を担い手として成立した性格上、生徒がオペラに深く触れることは、自動的にいろいろな学びにつなげていくことができると思うのです。難しい話ではなく、何よりも生徒の皆さんが興味をもつきっかけになるようなお話をしていきたいと思います。 台本の原案を残したフランス人のオーギュスト・マリエットは、エジプトなどで数々の重要な発掘調査に参加した考古学者です。調査にとどまらず、発掘した遺物が海外へと流出してしまわないような施策も行い、そのせいで母国のフランス政府との折り合いは悪かったものの、エジプトの総督から、「ベイ(君侯)」「パシャ(太守)」といった称号も与えられて重用されました。マリエットは、現地の博物館の創立にも尽力し、この博物館は後にツタンカーメンの黄金のマスクや、ファラオのミイラで有名なカイロの考古学博物館に発展しました。 多才なマリエットは、自らの考証に基づいた衣装デザインも担当しました。考古学のエッセンスによって、この作品がリアルで説得力のある世界を描くことに成功したのだと思います。博物館に立つ「 マリエットの像」16(写真:Violetriga) 一方、音楽を担当したジュゼッペ・ヴェルディも可能な限り真実に近づけようと、綿密な調査をした形跡が残されています。劇中の祈りの音楽や儀式の参加者(巫女がいるのか、男性だけなのか)などについて、考証にこだわって筆を進めていたようです。今の我々からみると学問的にはややB級に思えるかもしれませんが、当時としては最新の考古学上の知見に基づいて、かなりリアリティにこだわった作品だったのです。 その他の音楽的な解説は指導書に懇切丁寧に書かれておりますので、この機会に読み返してみることをお勧めいたします。 「アイーダ」が初演されたカイロのオペラハウスは、1869年のスエズ運河開通に際して行われた一連の祝賀事業の一環として同年にオープンしました。当時のエジプトは、綿花の生産により財政は豊かでした。前述のエジプトの総督は、エジプトの西欧化を推進した人で、ヨーロッパ随一のオペラ作曲家であるヴェルディに作品を提供してもらうのも、彼の西欧趣味によるものだったといわれています。「1869 年のヘディヴィアルオペラハウス」 初演は、1870年の1月に予定されていました。しかし、作曲の依頼がヴェルディのもとに届いたのは 1870年の春で、初演日は1871年12月24日となりました。なぜでしょうか?(アレキサンドリア図書館蔵)オペラを学修するということマルチ・タレントな考古学者音楽でもリアルを追求して初演当時のエジプト情勢普仏戦争の影オペラ歌手が解説! 「アイーダ」福島大学教授 今いま尾お 滋しげる音楽

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