音楽教科の視点 これは、ヨーロッパの勢力図を大きく書き換えることとなった普仏戦争の影が原因となっています。ドイツ帝国を誕生させたこの戦争において、パリは1870 年9月から1871年1月にかけて、圧倒的に優勢なプロイセン軍に包囲されます。モーパッサンの短編集でも名高いこのパリ包囲では、人々は食べられるものならスズメからネズミまでなんでも食べたという飢餓状態に置かれます。 「アイーダ」の衣装と小道具は、パリで製作されていました。当然すぎることですが、カイロのオペラのための衣装と小道具を搬出することなどとてもできるような状態ではなかったのです。 アイーダは、リアルで説得力のある世界を描いたとお話しましたが、オペラにリアリティを追求するのって変だとは思いませんか? ミュージカルでも歌舞伎でもそうですが、リアルの世界で人は歌いながら密談はしませんし、歌いながら愛を告白したり、ましてや歌いながら死んだりしません。そうした不自然さについては、オペラ誕生から100年とたたないうちに知識人からの苦情対象となっています。それでも、全世界の愛好家を魅了し続ける理由はなんでしょうか? 私の大学の授業で「椿姫」を学生が鑑賞する際、反応がいいシーンは二つに集約されます。一つは、皆様ご存知で華やかな「乾杯の歌」。 もう一つは、人と人との感情が激しくぶつかり合う2幕のフィナーレです。前者を外面的な魅力、後者を内面的な魅力とざっくり分けることができます。「アイーダ」には、この二つが非常に高い次元で詰まっていると思います。教科書にあるヴェローナの野外劇場の写真や、サッカーのおかげで知名度を上げた「凱旋の行進曲」は、華やかでオペラになじみがない人でもヴェローナ野外歌劇場での公演風景(教科書掲載写真)ひきつける力があります。オペラの外面的魅力ですね。 一方、この作品の内面的魅力は「人と人との感情の葛藤」です。ヴェルディは、イタリアオペラにおけるこの側面のエキスパートなのです。指導書には、このオペラの聴きどころが載っていますね。他にも、2幕のアイーダとアムネリス、4幕のアムネリスとラダメスの二重唱は、音楽的にもドラマ的にも強い緊張感をもった名曲といえると思います。オペラの最後は、天上で結ばれることを夢見て死んでいく恋人と、諦観の中で二人の魂の平安ならんことを祈るアムネリス、遠くから聞こえる僧侶たちの祈りの声で、余韻をもって締めくくられます。 最後に、「アイーダ」と我が国との関わりについて二つ紹介します。教科書にも写真が掲載されていますが、「凱旋の行進曲」はアイーダトランペットとも呼ばれる特殊な楽器で演奏されます。初演でエジプト的な雰囲気を出すために、ヴェルディ自身が注文して作らせていますが、音程も鳴りもよくなかったそうです。ウィーン・フィルが、1979年のザルツブルグ音楽祭で使用した楽器はヤマハ製。研究や分析を重ねた結果、不純物をわざと材料に混ぜるなどして、最終的には12 本のトランペットを受注し、指揮者カラヤンから絶賛されるものを作りあげたそうです。 「アイーダ」が初演されたカイロのオペラハウスは、残念ながら初演から100年後の1971年に火災により焼失してしまいましたが、日本のODAによって 1988年に無償で再建されました。杮落しの際には、五世中村富十郎による「俊寛」が、アフリカ・アラブ諸国で上演される初めての歌舞伎として非常な好評を得たそうです。同オペラハウスは教育文化センターとして、両国の文化交流に役立っています。(写真:ThutmoseⅢ)CC BY-SA 3.0カイロのオペラハウス17「アイーダ」の魅力「アイーダ」と我が国との関わり
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