教育情報誌 学びのチカラ e-na!! vol.7 (中学校版)
2/36

提言Societyグローバル社会において自分自身と向き合う重要性2京都精華大学全学研究機構情報館長ウスビ・サコ 先生 私はアフリカのマリ共和国出身で、そこで基本的な教育を受けた後、中国に渡りました。マリの教育現場は、フランス植民地時代の名残が色濃く残っており、教育制度自体が植民地制度に基づいたものでした。学校教育で使われる言語はフランス語で、地域密着ではなく、どちらかというとエリートを育てるものであり、日常生活とはかけ離れた感覚がありました。 その一方で、地域や家庭では母語による教育が行われており、人格育成と一体となった教育が行われていました。そのため、地域の役割と学校の役割は明確に分かれており、地域や家庭が子どもの性格や価値観に強い影響を与えていました。人間性はみんなで暮らす中で育むものなので、ある種学校には任せられない。つまり、学校に対しては、そうした部分の育成は期待していなかったのです。学校では成績が全てなので、競争が存在します。その競争は、仲間に負けたくないという、ある意味ポジティブな競争心を育てるものでした。 放課後に塾へ通うような経済的余裕はないため、皆で集まり、数学が得意な子は数学、◯◯ができる子は◯◯を教えるといった形で、皆で学んでいました。「教え合う」という文化、これは一つの勉強のあり方でした。 日本の学校を見たとき、まず「幸せだな」と思いました。学校が中心となり、地域や家庭が回っていると感じたからです。日本の子どもたちは、多くの手をかけられ、しっかりとサポートされている印象を受けました。マリでは入学式も卒業式もなく、顔も洗わずに学校に行くこともありました。親も学校にあまり期待していないので、自己責任で学校に通う感覚でした。 日本の手厚い教育システムはすばらしいですが、学校教育自体が一つの「サービス」を提供しているようにも感じられました。しかもそのサービスが多くの場合、無償です。保護者も子どもに対してサービスをしており、過保護すぎるように思えることもあります。教育の過程で、必要に応じて適度に叱ることがあってもよいのではと思います。 また、子どもを学校に通わせる、受け入れることで、保護者や先生がストレスを感じているようにも見えました。私の子どもが日本の学校に通っていたときも、「◯◯をしなければならない」というプレッシャーを、保護者と先生双方が感じていたような気がします。そのため、学習者である子どもの気持ちが、Interviewグローバル社会において自分自身と向き合う重要性日本の教育の印象Global

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る