教育情報誌 学びのチカラ e-na!! vol.7 (中学校版)
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提言グローバル社会において自分自身と向き合う重要性3あまり考慮されていないのではないかと感じました。 「周りの子がこうしているから、うちの子もそうするべきだ」というように、保護者が子どもを「個」ではなく「フレーム」にあてはめて見る傾向があるため、個としての子どもの独自性や、自己を確立する機会が奪われていると感じます。学校でも、コミュニケーションの手段・準備運動である、対話や好奇心を育成するような場面は少なく、設定されたカリキュラムに集中するあまり、子ども一人一人の個性を見ずに「フレーム」で教育が進められている印象です。 幼稚園や小学校低学年の子どもたちは、めっちゃ元気です。でも成長していくと徐々に元気がなくなってきます。子どもが本来もっている個性、価値観、好奇心が抑えられてしまうからだと思います。幼稚園の子どもは私の顔を見て「顔はどのくらい洗ってないの?」と普通に尋ねてきます。私も「2か月くらいかな」などと答えています。そのくらいの質問が出てくるのが普通だと思います。素直に知りたいんだから。小学生と遊ぶとき、私は「ナスビ・タコ」と名のっていますが(笑)、「なんで黒いの?」「テニスで日焼けしたんだよ」なんていうやり取りをよくします。しばらくつき合っていくうちに、テニスだけでそうなったわけではないことに気づき始めます。これは、答えを教えていないからなんです。答えを教えないことはとても大切で、子どもの問いと答えの間の「無数の好奇心」を育てることにつながるのです。 今の教育は、正解はあるんだ、あるべきだ、端的に正解を速く見つけた人が賢い、という捉え方が主流です。でも、そうすると子どもの問いを立てる力が育たないし、壁にぶち当たったときにあきらめてしまいます。物事には解決策があるのに、それを見つけられない自分が悪いんだと思ってしまう。しかも「フレーム」で成長してきているので、枠の外に出て、あれこれと疑問をもつことは社会の仕組みから外れるため、マイナスとして捉えられてしまう可能性が高いです。 私の子ども時代を振り返ると、決してそれがよいとも思えませんが、マリでは社会と学校の責任は、はっきり分かれていました。日本では社会と学校が同じ方向に向かっているので、子どもたちが息抜きをする時間が少なく、好奇心が育ちにくいのではと感じています。答えを教えない大切さ「自分」と向き合う重要性  大きなポイントは、日本は「違い」や「差」をよくないこととして捉えていることだと思います。これらをマイナス要素としてしまうと、「あなたと私は違う=どちらかが悪い」ということになってしまいます。これからは多様性をもっと意識しないといけない。多様性とは、全ての人が同じではなく、それぞれが異なる価値観や文化や育ち方をもち、それらを互いに認め合うことです。でも日本ではマジョリティを育てる傾向が強く、大学生でもマジョリティから自分が外れることを恐れて、自分の方向性や考え方を表に出さず、無理やりフレームに合わせている学生がけっこういるのです。実はマジョリティってめっちゃしんどいんですよ。 大切なことは、お互いの「違い」を意識することです。違いというものは必ずあります。このことを、ポジティブなものとして転じていく流れにしないといけない。これからの学校教育の中で多様性をどう捉えるかという意味では、個々が自分と向き合えることが重要。他人よりまず自分。そして他人と触れ合うことで、「私のあたりまえと、あなたのあたりまえは違うんだ」と、ある意味で他人を通して自分を受け入れることができる。他人を鏡にして「自分は何者なのか」ということを知り、学ぶということが必要です。 最近の教育は、自分と向き合う機会をどんどん減らそうとしています。自分ではなく、むしろみんなのことを考えなさいと。もちろんみんなは大切ですが、みんなのことを考える過程に自分がいるのです。そのことがとても大事です。FaceYourself

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