沼 野 雄 司
シュテファン・ヴォルペ『ブレヒトの3つの歌』  十年ほど前までは,大学の講義で20世紀音楽について語る際に「今世紀に入って・・・」などと口走ってしまうことがよくあった。ある程度以上の年代の方ならご理解いただけると思うのだが,すでに「21世紀」だと頭ではわかっていても,カラダがついていかなかったのだ。この頃はそのようなこともなくなったのだが,つまりはようやく20世紀が実感としても完全に「過去」へとパッケージ化されたということなのだろう。 それなのに。音楽の世界ではまだ「20世紀=現代」という図式が相変わらず一般的で,「ドビュッシー以降の現代音楽は・・・」みたいな感じで敬遠する人が後をたたない。「無調」が出てきたのも「春の祭典」も百年以上前であるにも関わらず。 むしろ事態は逆なのだ。20世紀音楽は今やどう考えても,名実ともに遠く過ぎ去ってしまった過去の音楽であり,「現代音楽」なんて呼ばれる資格をとうに欠いている。むしろ「過去音楽」と呼びたいくらいなのだが,そうすると古代から20世紀まで全部が過去音楽になって混乱するから,まあやめておこう。ともかくここで声を大にして言いたいのは,現在,「20世紀音楽」はノスタルジーの対象になりつつあるということだ。「難しい」のではなく,「懐かしい」はずなのである。 この連載では毎回,僕が「名曲」だと勝手に断じる20世紀の楽曲を挙げて,ノスタルジックな視線で味わってみたい。第一回の俎上にあげるのはシュテファン・ヴォルペ(Stefan Wolpe 1902-72)が1943年に作曲した『ブレヒトの3つの歌』という作品である。
引き裂かれた作曲家  ヴォルペという名になじみのない読者も多いかもしれない。彼は1902年,まさに20世紀の幕開けとほぼ同時に生まれ,ベルリンで作曲を学んだ後,第一次大戦後に当時の前衛としてデビューした作曲家である。十代にして早くも無調の音楽を書きはじめ(初期の作品はとてもキレがいい),ダダのグループに接近すると共に,ヴァイマールの芸術学校「バウハウス」にも出入りして,様々な分野の芸術家たちと交流した。なんともカッコいい青春時代だ。そのまま行けば,彼はアルノルト・シェーンベルクらに続く「現代音楽」作曲家として歴史にしっかりと名を刻んでいただろう。 ところが,彼の軌道は途中からブレ始める。ロシア革命以降,ヨーロッパのインテリに本格的に広まっていた共産主義思想にすっかりかぶれてしまったのである。ヴォルペは積極的に労働者の集会に参加するとともに,彼らを対象にした音楽活動にたずさわるようになった。ここで大きな問題が生じる。 一般の労働者に無調の音楽を歌わせるわけにはいかない。当然ながら,それは無理だ。とするならば,実は「難解な現代音楽」は,裕福なエリートが小さい頃から教育を受けて,ようやく理解したり演奏したりできるブルジョワ的な音楽なのではなかろうか。人民,大衆,プロレタリアートのための音楽は,もっとわかりやすく,力強いものでなくてはならないのではないか。本当に自分のやってきたことは正しかったのか・・・。かくしてヴォルペは,共産主義思想と新しい音楽の間で引き裂かれて,どうしてよいかわからなくなってゆく。 この時期からの彼の作品を追ってみると,それは単純な労働歌のようなものであったり,ジャズの影響を受けた作品であったり,しかし時には厳しい無調の作品であったりと,作風が一定しない。それだけ悩んでいたということなのだろう。1933年にナチスが政権をとると,ユダヤ系のヴォルペはドイツに居られなくなり,パレスチナに渡る(当然ながら,当時はまだイスラエルという国はない)。自らのアイデンティティに意識的にならざるを得なかったヴォルペの音楽には,これ以降,ヘブライ的(ユダヤ的)な旋律要素までもが加わることになった。 1938年,ヴォルペはアメリカへと渡り,教職についた。ヨーロッパの第一線で活躍した経験のある作曲家だけに,彼を慕って多くの若い作曲家が集まってきたが,その中には若き日のジョン・ケージやモートン・フェルドマン,そして一柳慧などもいた。結局,彼は晩年までこの地にとどまり,72年にパーキンソン病のために亡くなったのだった。
『ブレヒトの3つの歌』  アメリカという国は,基本的に大変に自由な国だ。誰もが自分の好きなようにふるまうことが,ここでは許される。日本と違って,とてもラク。しかし,敢えて言えば大きなタブーがひとつだけある。共産主義である。とりわけ「冷戦」後にはそれが明確化するけれども,しかし1930年代から既に,アメリカの共産主義者は厳しい弾圧を経験している。ここはヨーロッパとまるで違うところだ。 そのような抑圧的な状況の中でヴォルペは,前衛,共産主義,ユダヤ,そして資本主義の権化アメリカといった,お互いにまるで矛盾をきたすような要素を一身に背負いながら,奇怪な曲を書き続けるほかなかった。泣き笑いというか悲喜劇というべきか。 1943年の『ブレヒトの3つの歌』は,こうした中で生まれた音楽である。だまされたと思って,第1曲だけでも聴いてみてほしい。録音は決して多くないけれども(僕のお勧めはKOCHレーベルから出ているジョイス・キャッスルという女性歌手が歌っているもの),ナクソスのミュージック・ライブラリーにも1種類だけ男性歌手による録音が収録されている*1。 音楽は一言でいえば芝居の劇中歌のような雰囲気であり,つまり先の諸要素の中でいえば大衆的・共産主義的な成分が多めではある。そもそもブレヒトの詩が,貧しい未亡人の役人に対する陳情であったり(第1曲),権力者を皮肉ったりという(第2曲),あからさまに左翼的なものだから,こうしたスタイルをとるのも当然とはいえるだろう。 しかし,それほど単純な曲でもない。流行歌のような外観を持ってはいるものの,精妙かつ捻じれた対位法を奏でるピアノ・パート,時として無調に入り込んでしまいそうな奇妙な転調,そして意外なほど不規則な拍など,その出自はあきらかに「現代音楽」なのだ。ヨーロッパから中東,そしてアメリカへとたどり着いた40代初頭のヴォルペは,理想と現実,そして芸術と生活が絶望的にこんがらがった生活の中で,不思議にハイブリッドな歌を書いたのだった。 この歌は,ゆえに,とても懐かしく響く。まさに20世紀の音楽というほかない。

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