ここにきて,ようやく天気が秋めいてきたこともあり,テーマを新しくすることにしました。今回のテーマは「月」です。日本の秋の風物詩といえば,お月見でしょう。月は,地球に最も近い天体として古くから人々に親しまれ,科学者の研究対象にもなってきました。世界中には,月にまつわる物語も数多くあります。
それでは,月についての解説を,リカ先生にお願いします。
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どうも,皆さん,おひさしぶりです。それでは,今回のテーマである「月」についてお話しします。下にこれから話をする項目一覧をあげておきますので,初めから読むのが面
倒だと思う方は,興味のある項目だけクリックしてください。
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月は,地球のまわりを回っている唯一の衛星です。ほぼ球形で,約29.5日かけて満ち欠けを繰り返します。月の明るさは,満月のときが-12.6
等と最も明るくなります。いつでも,ほぼ同じ側を地球に向けているので,地球上から月の裏側を見ることはできません。これは,月の公転周期が自転周期と同じだからです。月の表面
には,明るく見える部分と暗く見える部分とがあり,明るい部分は「陸」,暗い部分は「海」とよばれています。陸にも海にも多数のクレーターが見られ,大きなクレーターには有名な科学者の名前がつけられています。また,月には,大気も水もほとんどなく,生物も存在しません。
現在,月について知られている主なデータを,太陽と地球のデータと並べて下に示します。
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月 |
太 陽 |
地 球 |
赤道半径
質量
自転周期
公転周期
地球からの距離
(中心から中心まで)
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1738 km
7.348 ×1022 kg
27.3217 日
27.3217 日(恒星月)
38万4400 km
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69万6000 km
1.989 ×1030 kg
25.38 日
−
1億4960万 km
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6378 km
5.974 ×1024 kg
0.9973 日
365.242 日(太陽年)
−
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どのようにして月ができたのかに関しては,多くの科学者がいろいろな説を唱えてきました。しかし,いずれの説も決定力に欠けていて,まだ確固たる説はないといえるでしょう。ここでは,現在のところ有力と考えられている起源説をいくつか紹介します。
親子説
地球ができたころ,地球の自転速度は現在よりも速かったことがわかっています。このため,当時の地球は赤道部が大きくふくらんだ楕円体だったと考えられます。親子説では,この速い自転速度のために,赤道部にあるマントルの一部がちぎれ,月ができたと主張しています。しかし,親子説で月ができるためには,地球の自転周期が
2.6 時間よりも短くなければならないということが,ある計算によって求められており,地球がそんなに速く自転していたかを疑問視する声もあります。
双子説
地球は,今から約46億年前に,宇宙空間にただようチリやガスが集まってできたと考えられています。双子説では,月も,地球ができるときに,地球の近くで同時にできたと主張しています。双子説の立場からすると,月の組成は地球とほぼ同じはずですが,アポロ計画による月面
調査の結果,月と地球とでは,岩石の組成が異なることがわかりました。この点で,双子説に対する批判があります。
捕獲説
太陽系内の地球から離れたところで誕生した天体が,あとで地球の重力にとらえられて月になったと主張しているのが,捕獲説です。こう考えると,月の組成が地球と異なるのは納得できます。しかし,月が公転し始めるためには,運動エネルギーが大幅に減少しなければなりません。捕獲説では,地球の潮汐力を受けて月のマグマに摩擦が起こったとか,地球のまわりの小天体に衝突したとかで,月の運動エネルギーが減少したと考えていますが,いま一つ説得力に欠けます。
巨大衝突説
親子説と捕獲説の中間的な説が,この巨大衝突説です。この説では,太陽系内の地球から離れたところで誕生した天体が,地球に近づいてくるところまでは,捕獲説と同じです。そのあと,この天体が地球と衝突して,地球のマントル物質の一部とともに飛び散り,それらが集まって月ができたと考えます。月の運動エネルギーの減少はうまく説明できますが,衝突時の状況についてもいろいろな考えがあり,まだ,この説を裏付ける証拠は見つけられていません。
ここで,月の公転について少しお話しします。月は,地球のまわりを楕円軌道を描きながら公転しています。一方,地球は,ほかの惑星と同じように,太陽のまわりを楕円軌道を描きながら公転しており,この2つの公転面
の傾斜角は,約5度になります。
地球から見える月や太陽の軌道を天球上で表すと,下の図のようになります。このとき,太陽の軌道を黄道といい,月の軌道を白道といいます。また,黄道と白道の交点のうち,月が黄道面
よりも北側に昇る点を昇交点といい,月が黄道面よりも南側に降りる点を降交点といいます。
月の公転周期は,基準のとり方によって,恒星月・朔望月・交点月・近点月などいろいろあり,値が少しずつ違います。
恒星月とは,地球と太陽系外の恒星とを結ぶ線を基準に月が地球を1周する時間のことです。下の図で説明すると,AからBまで移動する時間になり,平均値は
約 27.32 日です。恒星月は,宇宙空間座標のもとで月が1周する時間だと考えていいと思います。
朔望月は,地球と太陽とを結ぶ線を基準に月が地球を1周する時間のことで,新月から次の新月までの時間をはかる公転周期です。月が地球を1周する間も地球は公転しているので,下の図で説明すると,AからCまで移動する時間になり,朔望月の平均値は,恒星月の平均値より長くなります。

交点月は,天球上の昇交点を通
過してから,再び昇交点を通るまでの時間で,平均値は 約 27.21 日です。
近点月は,近地点(月が地球に最も近づく点)を通
過してから,再び近地点を通るまでの時間で,平均値は 約 27.55 日です。
このように,月の公転周期には,いろいろな基準のとり方がありますが,やはり一番ポピュラーなものは,
月の満ち欠けを基準にしている 朔望月 でしょう。ここで,朔は新月(New
moon)を指し,望は満月(Full
moon)を指しています。
海面が周期的に上下することを潮汐といいますが,これは,月や太陽の引力が原因になっています。地球は太陽の引力によって公転しているので,地球には遠心力がはたらいています。下の図のように,地球の軌道上では,遠心力と引力がつりあっていますが,太陽に近い地表では引力のほうが大きく,逆に遠い地表では遠心力のほうが大きくなります。この効果
で,海が地球と太陽を結ぶ線の両側に引っ張られ,潮汐や潮流が生じます。こうした現象は,月の引力によっても起こります。
地球に潮汐を起こす力は,潮汐力
(起潮力) とよばれていて,その大きさは〔力を及ぼす天体の質量〕に比例し,〔地球から天体までの距離〕の3乗に反比例します。月は,太陽の2660万分の1の質量
しかありませんが,地球までの距離は太陽の390分の1ほどです。この値をもとに,月と太陽の潮汐力を比べてみると,月の潮汐力は,太陽の約2倍になります。その他の天体からの潮汐力は,月や太陽のそれと比べて,はるかに小さくなります。
地球の潮汐は,月の潮汐力と太陽の潮汐力の重ね合わせで起こります。新月や満月のときは,月と太陽の潮汐力が重なり,1日の干満の差が最も大きくなります。これを大潮といいます。
また,上弦の月や下弦の月のときは,月と太陽の潮汐力が互いに直角にはたらきあって,1日の干満の差は最も小さくなります。これを小潮といいます。
月は,およそ30日で地球を1周するので,大潮から次の大潮までは,約15日かかることになります。
なお,潮汐に関する言葉には,次のようなものもあります。
中潮 |
大潮と小潮の中間の潮のことです。
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長潮 |
大潮から小潮になるときに,ゆっくりと流れる潮のことです。
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若潮 |
長潮のあとに,速く流れる潮のことです。
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ここでは,月や太陽の運行と,暦との関連性について話したいと思います。そもそも暦とは,簡単にいえば「1日を単位
として長い時間を数える仕組み」となるでしょうか。太古の人類は,まず,東から昇り西へ沈む太陽の動きから,1日という単位
を体感的に考えだしました。太陽は,あらゆる生物にとって欠くことのできない天体であり,生命の源ともいえる天体です。その太陽の1日の動きが,地上に昼と夜を生み,人間に「時」の概念を生じさせたのでしょう。また,太陽は,地球から見ると周期的に高度が変わります。この変化によって,地上に多くの気象現象がもたらされ,春夏秋冬や,雨期・乾期などが生まれます。古代人は,1日という単位
とは別に,自然の季節的な移り変わりから,1年という単位も漠然と考えていたと思います。
1年という単位は,農耕を行い始めた民族にとって非常に大切で,種まきや収穫の時期をとらえるには,暦のあるほうが効率的です。しかし,現在のような1年365日という考えは,その当時の多くの人たちには難しすぎました。もっと自然現象から容易に時期を知ることのできる単位
が求められました。そこで考え出されたのが,月という単位です。これは,約30日ごとに満ち欠けを繰り返す月の運行をもとにしています。月の満ち欠けは,太陽の高度変化と違って,周期的な変化が明確にわかります。古代の多くの民族は,より簡便なこの太陰暦によって時間の移り変わりをとらえたのでしょう。
ただ,月の運行は,自然に影響を及ぼす太陽の運行とは全く関連性がないので,純粋な太陰暦では季節とのずれが生じてきます。そこで,月の満ち欠けを軸としながら,太陽の運行に合わせた補正を行って,太陰太陽暦とよばれる暦をつくり,農耕などに活用していたようです。
太陽の運行から考えた1日や1年という単位が互いに関係づけられたのは,約5000年前の古代エジプトにおいてです。古代エジプトでは,ナイル川が氾濫したあとにできる肥沃な土地で農業を行っていたので,氾濫の時期を予測することが必要でした。そこで,長年にわたる天体観測の結果
,シリウスという星が日の出直前に東の空に輝くとき,決まってナイル川が氾濫することを見いだし,「1
年=365 日」の太陽暦がつくられました。この世界初の太陽暦では,1年は,ひと月が30日の12か月と,5日の付加日とで構成されていました。ここでも,ひと月が30日になっているのは,月の満ち欠けで時期をとらえていたころの名残でしょうか。
日本では,1873年に太陽暦に改められるまでの1000年以上もの間,月の運行を基準にした太陰太陽暦が用いられてきました。古くは『日本書紀』に,553年に欽明天皇の要請で百済(くだら:当時の韓国)で使われていた元嘉暦(げんかれき)が渡来したことが記されています。その後,日本の暦は,しばらく海外からの専門家がつくっていましたが,1685年に渋川春海が日本初の国産暦となる貞享暦(じょうきょうれき)をつくりました。また,1844年から使用された天保暦(てんぽうれき)は,太陰太陽暦のなかでは,最も緻密で正確な暦として有名です。

貞享暦(国立科学博物館蔵)
これまで話してきた日,月,年などの単位は,月や太陽の運行をもとにしています。これに対し,週という単位
は,自然とは全く関係のない人工的なものです。7日ごとに神をたたえるという,紀元前2世紀ごろのユダヤで行われていた宗教儀式が起源で,それがキリスト教に取り入れられて世界的に広まり,週という単位
ができたのです。したがって,それぞれの曜日には惑星にちなんだ名がつけられていますが,それらの天体の運行とは全く関係がありません。
最後に,日本人が古くから月に関心をもっていたことの一例として,短歌に関する話題を取り上げます。現在,最も親しまれている短歌は,競技かるた
でお馴染みの『小倉百人一首』ではないかと思います。そもそも,百人一首とは,100人の作者の歌を1首ずつ集めた歌集のことです。小倉山にあった藤原定家の山荘「時雨亭」に,100人の和歌を書き連ねた障子があったため,一般
に『小倉百人一首』とよばれています。恋の歌が半数近くを占め,また,四季のなかでは秋の歌がいちばん多くなっています。月を詠んだ歌を調べると,以外に多く12首もありますので,それを紹介して今回の解説を終わりにしたいと思います。みなさんも,秋の夜長に歌でも詠んでみてはどうでしょうか。
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ
清原深養父の歌で,「夏の夜は短いので,また宵だと思っているうちにもう明けてしまったが,これでは月はいったい雲のどのあたりに宿るのだろう」という意味です。
郭公なきつるかたをながむればただあり明の月ぞ残れる
後徳大寺左大臣の歌で,「ホトトギスの鳴いた方角を見ると,もうその姿はなくて,ただ有明の月ばかりが残っている」という意味です。
秋風にたなびく雲のたえまよりもれいづる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔の歌で,「秋風に吹かれて横に細く流れる雲の切れ間からもれてくる月の光は,明るく澄みきっている」という意味です。
月みればちぢに物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど
大江千里の歌で,「月を見ると,いろいろと悲しさが感じられることだ。私ひとりを悲しませるために秋が来るのではないけれども」という意味です。
朝ぼらけ有明の月と見るまでによし野の里にふれる白雪
坂上是則の歌で,「明け方,空に残っている月の光かと見まちがえるばかりに,この吉野の里に白く降り積もっている雪であるなあ」という意味です。
天原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも
安倍仲麿の歌で,「大空をはるか遠くまで眺めると月が輝いているが,あれは昔,奈良の三笠山に出ていた月なのだなあ」という意味です。
有明のつれなくみえし別よりあかつきばかりうきものはなし
壬生忠岑の歌で,「有明の月が無情で冷淡に見えたあの明け方の別
れ以来,暁ほどつらいものはない」という意味です。
今こむといひしばかりに長月の有明の月をまちいでつるかな
素性法師の歌で,「『すぐに行きます』とあなたが言ったばかりに,九月のこの長い夜を有明の月が出るまで待ってしまったことですよ」という意味です。
なげけとて月やは物を思はするかこちがほなる我なみだかな
西行法師の歌で,「月が私に嘆けといって物思いをさせるのか。いやそういうわけではないのだが,月にかこつけるようにして,私の涙は流れるのだなあ」という意味です。
やすらはでねなましものを小夜ふけてかたぶくまでの月をみしかな
赤染衛門の歌で,「あなたとの約束がなかったら,ためらわずに寝てしまったのに,おいでを待っているうちに夜が更けて,西の空に沈みかかるまでの月を見てしまいましたよ」という意味です。
心にもあらで浮世にながらへばこひしかるべき夜半の月かな
三条院の歌で,「生きていたいとも思わないのにこのつらい世に生き長らえていたなら,今夜見るこの月が唯一の友として恋しく思われることだろうなあ」という意味です。
めぐりあひてみしやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな
紫式部の歌で,「めぐりあってちょっとかいま見たが,あなたかどうか見分けがつかないうちに帰ってしまった。たちまち雲に隠れてしまった夜中の月のように。」という意味です。
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