愛知教育大学教授 有働 裕疱瘡と江戸時代の文芸ほうそう国語うどうゆたかの視点教科疫病とまじない疱瘡神を祀る疱瘡と赤い玩具疫病とまじない疱瘡神を祀る疱瘡と赤い玩具 江戸時代の文芸に疱瘡がどのように描かれているのかを見ていくと,もちろん悲惨な話もあるのですが,思いのほかユーモラスなものが目につきます。 江戸時代の中期に,『新説百物語』という怪談集が刊行されています(高こう古こ堂どう主人作,明和四年刊)。その中の「疱瘡の神の事」は次のような話です。 丹波の国与よ謝ざの郡である年の冬に疱瘡が流行し,村中の子どもは残らずかかってしまった。正月に至ってほとんどは無事に治ったのだが,なぜか三右衛門という者の子どもだけは病状が続いていた。この三右衛門は律義者で,日頃から疱瘡の神を深く信心しているという男だった。正月七日の夜になって,ようやく子どもの病状もよくなってきた折,夜中過ぎに三右衛門の家の表の戸を開けて大勢で入り込んでくるものがあった。それらは四,五十体あまりの異形の化け物で,口々に次のように言っていた。「我々は疱瘡の神である。昨年の冬にこの村にやってきたが,三百軒ばかりの家での疱瘡も全て終わらせたので,これからは他の村へ行く。お前には特別に大切にされたので,みんなで礼を言いに来た。」 三右衛門はこれを聞いて次のように答えた。「それならば,この一里ほど先に九兵衛という者の一家がおりまして,そこの子ども二人がまだ疱瘡をすませていません。よろしくお願いします。」 それを聞いた疱瘡神たちは,「簡単なことだ。すぐに参ろう。」と言って家から出て行った。 三右衛門が手紙をしたためて九兵衛にこのいきさつを知らせると,早くも前の晩から子どもに熱が出始めて疱瘡にかかった様子だ,という返事が返ってきた。その後,この子どもたちは症状も軽くてすみ,すっかり元気になったということである。 疱瘡の神は疫病神ではなく,信心していれば軽くすませてくれる良い神様だ,と捉えているところが 治療に決め手のない感染症―新型コロナウイルスの流行によって,誰もが重苦しい思いを抱いて過ごしています。毎日発表される新規感染者の数におののきながら過ごしていれば,気持ちは滅入る一方。 そんな状況にあると,ついついまじないや神頼みに走ってしまうのが人情というものです。アマビエとかいう妖怪(?)の名前をよく聞くようになり,その絵も見かけることが多くなりました。 江戸時代の人々にとっての疫病対策といえば,まさにまじないや神頼みがその中心でありました。 「江戸時代の日本人が,上下貴賤を問わず,もっとも恐れていた病気といえば,やはり痘瘡であったろう。」と立川昭二は『江戸 病草紙―近世の病気と医療―』(ちくま学芸文庫)で述べています。痘瘡,あるいは疱瘡というのは,いわゆる天然痘。奈良時代に日本に入ってきたこの疫病は,江戸時代には毎年のように流行するようになり,とりわけ子どもがこれに罹患しました。 医学事典等によれば,感染すると,まず高熱が出て,その後に発疹が出始め,やがて瘡かさ蓋ぶたとなる時期へと変化していきます。約三十パーセントが死亡し,それを免れても顔に著しいあばたができたり,身体に何らかの後遺症が残ったりするケースが少なくありませんでした。恐ろしい病気ですが,日本では幕末期から種痘の普及によって予防が進みました。今日では,世界的に見ても撲滅された感染症となっています。 この病気は免疫性が強く,一度感染すると再びかかることはありませんでした。このこともあって江戸の人々は,かかっても軽くすめばよいと思うようになりました。そして,それを願って様々なまじないをしたり疱ほう瘡そう神がみを祀ったりしました。8 教科の視点 国語特集 コロナ禍を生きる
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