「中学教科通信」特別号
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疫病とまじない疱瘡神を祀る疱瘡と赤い玩具 疱瘡を軽くすませるには赤いものを身につけさせるとよい,ということも広く信じられていました。これは,疱瘡によって出る発疹が赤い色であることや,赤が古くから厄除けの色とされてきたことと関連があるとされています。 例えば,木版刷りの疱瘡絵というものが多数残されています。鍾しょう馗きや鎮ちん西ぜい八はち郎ろう為ため朝とも,桃太郎などの強そうな姿が赤い色で刷られ,「赤絵」とも呼ばれました。子どもの玩具も赤いものばかりが取り揃えられ,それらは「赤物」と呼ばれました。 『東海道中膝栗毛』の作者である十返舎一九にも,疱瘡神や赤い玩具を題材とした『疱ほう瘡そう請うけ負おい軽かる口くちばなし』(享和三年刊)という黄表紙(絵が中心の戯作文学)があります。なんとも呑気に思われます。とはいえ,治療や予防の方法がわからなければ,このような神頼みの奇談を信じて心のよりどころとするほかはなかったのでしょう。疱瘡神の存在は,江戸時代を通して広く信じられていました。全国各地にその神社があり,疱瘡神のお祭りも盛んに行われていました。歌川国芳「金太郎の猪退治」東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 一九がある日浅草を歩いていると,家々から小さな異形の物が飛び出してきた。それらは張り子の達磨や犬などの赤い玩具で,口を揃えて「我々は子どもたちが疱瘡の時には重宝されるが,もしものことがあっては親たちに申し訳ない。なんとか疱瘡を軽くする相談をしよう。」と言っていた。 相談の結果,とにかく疱瘡神の親玉である越前の国の湯ゆの尾お峠とうげにいる孫まご嫡じゃく子し(昔から疱瘡に効き目があるとして知られている孫嫡子神社の祭神)に頼むほかはないということになり,奴やっこ凧だこがまず手紙を届け,達磨も湯尾峠まで出向いて,次のように頼んだ。「なにとぞ世間の疱瘡がおしなべて軽くなりますようお願いいたします。疱瘡神の身内にもいろいろあって,良いものも悪いものもいます。どうかよく吟味して国々に送ってください。」 孫嫡子はこの頼みを了承し,国々の疱瘡神を残らず呼び寄せ,一人ずつ秤にかけて目方を量った。そして軽いものばかりを諸国に遣わすこととした。一方,重い疱瘡神はみなはねのけられてしまったので,商売あがったりだと不満を言い合っていた。そこへ悪魔がつけこんで,悪い知恵をつけた。「こうなったのは,すべて作者の一九が悪い。こいつはいい年をしてまだ疱瘡をしていないという。とりついてやるがよい。」 悪魔にのせられた重い疱瘡神たちは一九のもとに詰め寄り,「いまからとりついてやる。」と迫ってきた。一九は肝をつぶし,「今年三十五になるというのに疱瘡とは情けない。このひげづらで赤い頭巾がかぶれようか。どうか疱瘡様,ごかんべんを。」と困り果てて,越前の国に行って孫嫡子に泣きついた。 紙数の関係で途中までの紹介となりますが,一九らしい楽屋落ちの趣向でこの後もおかしな話が展開していきます。まことにふざけた内容ではあるものの,とにかく疱瘡を軽くすませたいという江戸の人々の思いが根底にあるといえます。こんな笑いの提供によって,ほんの少しではあっても気晴らしとなったことでしょう。 現在の我々には,コロナにかかってもいいから軽くすませてくれ,というような余裕はとてもありません。しかしながら,不幸にして感染されてしまった方々には,適切な処置を受けて無事に復帰していただきたいと願うばかり。そして,ともかく一刻も早い流行の終息を待つばかりです。 9教科の視点 国語特集 コロナ禍を生きる

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