小学校国語:葛藤を学びの動力に変える意見文の授業デザイン
東京学芸大学附属世田谷小学校教諭
〈教育情報誌 学びのチカラ e-na!! vol.2 (小学校版) 2022年4月発行より〉
教育出版五下『世界遺産 白神山地からの提言 ―意見文を書こう』から
『世界遺産 白神山地からの提言―意見文を書こう』は、学習者にとって魅力的な資料が豊富にある教材です。
学習者はこれらの資料の多様な情報を比べながら読み、白神山地に関する状況を多角的に捉えることができます。教材の内容の魅力に引き込まれながらも、原因と結果などの情報どうしの関係について考えていくことができます。
ところが、この単元の学習の中心となる「意見文を書く」という段階になると、学習者はとまどってしまいます。なぜならp.18〜19に、モデルとなる意見文が掲載されているからです。
モデル文は以下のように構成されています。
このモデル文は、教材を読み込んで学習してきた学習者にとっては、思わず納得してしまうほどの完成度の高い意見文です。白神山地について「人の手を加えず、自然のまま委ねるのか」それとも「人の手を加えながら自然を守るのか」、学習者は葛藤しながら読み深めています。しかし、このモデル文に出会ってしまうと、モデルとしての完成度の高さゆえに、学習者はその葛藤を解消してしまいます。そのため、学習者にとってモデル文以上の意見文を書くことは難しくなり、書き上げたとしてもモデル文と非常に似通った意見文を作成してしまいます。
本来の学習の重点は「目的や意図に応じて簡単に書いたり詳しく書いたりするとともに、事実と感想、意見とを区別して書いたりするなど、自分の考えが伝わるように書き表し方を工夫する」です。しかし、学習者がモデル文を意識することによって、かえって意見文を書くことのねらいを妨げてしまうことになります。
意見を誘発する葛藤
教科書には「自然保護だけでなく、みなさんの身近なできごとや世の中の問題についても、いろいろな情報からわかったことを整理し、根拠をはっきりさせて考えを深めてみましょう。」とあります。では、「白神山地」の内容以外で意見文を書くにはどのような内容がよいのでしょうか。その条件として3点考えられます。
意見文の根拠となる情報は、学習者全員が共通にアクセスできることが望ましいと考えます。どの情報からどのように読み解いたのかを比較するためには、情報量をある程度制限したほうが比べやすいためです。また、この教材のように、文章に限らず多種多様な形式の情報を比べながら読むことが大切です。その中でも、ダブルバインドのような葛藤が学習者に誘発される情報を提示する必要があります。
葛藤をカリキュラム・マネジメントから探す
上記にあげた条件から考えた場合、それに適している共通教材は、社会科の教科書です。5年生の社会科では、日本の産業について学習します。例えば教育出版の教科書では、1学期には『これからの食料生産』、2学期には『日本の工業生産の今と未来』を学習します。これらの学習の過程では、必ず葛藤場面が存在します。「食料生産」であれば、自給率の問題、安全性の問題、フードロスの問題、環境問題など現在も続くさまざまな社会的な課題に直面します。
また「工業生産」であれば、エネルギー資源の問題、貿易摩擦の問題、雇用の問題、環境問題などが考えられます。
このように、社会科の教科書に目を向けると、これらの社会的な問題に対して、多角的に捉えて考えるための多様な資料がしっかりと揃っていることがわかります。
葛藤を学びの動力に変える意見文の授業デザイン
そこで、国語科の『世界遺産 白神山地からの提言―意見文を書こう』で培った、情報を読み比べる力・意見文を構成する力と、社会科の「食料生産」・「工業生産」に関する社会問題に対する葛藤を組み合わせた授業をここでは提案します。
意見文を書くための教材として社会科の教科書を活用するメリットは以下の通りです。
具体的な授業計画としては、社会科で「食料生産」もしくは「工業生産」をひととおり学んだ最後に、「これからの◯◯」と題して資料を活用しながら意見文を書く展開が考えられます。
学習者に望む姿
『世界遺産 白神山地からの提言―意見文を書こう』の学習は、多種多様な情報を十分に読み比べた上で、自分の意見を書く貴重な学習の機会です。しかし、魅力的な教材文の内容と模範的なモデル文の形式をそのまま倣って学習することに終始していては、学習者が主体となる授業にはなりません。
学習者が主体となる授業になるためには、葛藤が生まれる内容と、表現する形式を学習者が獲得する必要があります。ここで紹介した授業のアイデアは、社会科で学んだ内容から学習者に葛藤を生じさせ、国語科で学んだ内容から学習者が意見文の書き方の形式を獲得するというカリキュラム・マネジメントのコンセプトにのっとっています。一つの授業の中で、社会科の教科書と国語科の教科書の両方を開いて、意見文を書いていく学習者の姿は、まさに教科の枠を超えた学びを展開している証拠です。
「これまでどおり」を踏襲することが難しくなっている時代だからこそ、授業においても学習者一人一人が問題を発見し、自分なりの意見を表現していくことが重要です。