中学校書写:これからの社会と文字文化
〜毛筆の近代史から考える〜
鎌倉女子大学短期大学部准教授
〈教育情報誌 学びのチカラ e-na!! vol.1 (中学校版) 2021年9月発行より〉
デジタルネイティブ世代の文字文化
幼いころからデジタル機器が身近にあり、インターネットやソーシャルメディアに慣れ親しんだ人たちを、「デジタルネイティブ」と呼んでいます。一概に世代では区切れませんが、現在の30代以下の方たちはデジタルネイティブ世代といえるでしょう。
ちなみに、私は大学生になってからインターネットを知り、パソコンでメールのやりとりが始まり、携帯電話で写真が撮れるようになった世代です。かろうじてまだ手書きの卒業論文が認められていた記憶もあります。そんな私より上の世代には、「大事な連絡は紙の文書で」「書類は印刷してから読みたい」「電子書籍を買うのは抵抗がある」など、「紙」へのこだわりが捨てきれない方も多いと思われます。しかし、デジタルネイティブ世代には、そうしたこだわりがほとんどない(そもそも感じていない)のかもしれません。
デジタルの世界において、文字は画面に表示されるデータです。画面に映し出されている形(字形)は、その場限りで実体ではないと考えます。そこに出現する形はデバイスによっても異なるため、字形や配列について表現の工夫を加えることにあまり意味がないという意識もあるでしょう。
このような文字へのこだわりを失いつつあるデジタルネイティブ世代の登場によって、文字文化はどう変化していくのでしょうか。そして、これからの書写学習はこの時代にどう対応するべきなのでしょうか。
毛筆から硬筆へ ―筆記具の変遷史―
ここで少し、歴史を振り返ってみましょう。
明治期の子どもたちが夢中で読んだ雑誌に『少年世界』があります。その明治38年4月号に、「書学」(図1)という物語が掲載されています。
こちらはその挿絵です。右側の椅子に座ったペン・鉛筆・インクスタンドに、左側の毛筆・硯・墨がひれ伏しています。この物語の主人公の少年は「書は姓名を記せば足るので、
図1 石橋思案「書学」『少年世界』11(5)、博文館、明治38年4月(国立国会図書館蔵)
なお、この物語では、最後に少年がペンや鉛筆ばかり使うことを戒め、毛筆による書学の大切さを説いています。挿絵の印象とは違い、結局は毛筆が大切であるという結論に落ち着く時代でした。しかし、ここからは当時の毛筆文化の衰退状況がうかがい知れるでしょう。もしも現在なら、スマートフォンやタブレットに対して、ボールペンやシャープペンシルがひれ伏しているような絵が描かれることになるのでしょうか。
もう一つ、『読売新聞』に掲載された「オリオン万年筆」(図2)の広告です。現在も続く文房具の老舗である丸善の広告で、毛筆は「
図2『読売新聞』明治44年5月21日朝刊4ページ(国立国会図書館蔵)
失われなかった毛筆文化
明治~昭和戦前期まで、日本国内の硬筆筆記具(鉛筆・ペン・万年筆・シャープペンシル)の生産量はどんどん増えていきました。しかし、もう一つ見逃せない事実があります。それは、毛筆の生産量も同じように徐々に増えていたということです。※
このことには複合的な要因がありますが、大きく分けて二つ、教育の普及と芸術としての書道文化の振興があげられます。毛筆は実用的な筆記具ではなくなりましたが、文字文化の一翼を担うものとして使われ続けました。
つまり、近代において筆記具は毛筆から硬筆へ「転換」したのではなく、「複線化」したのです。歴史的に文字文化を支えてきた毛筆はその基盤として生き続け、失われることはありませんでした。
このことを踏まえれば、デジタルの文字文化も手書き文字の文字文化も、並列に考える必要があります。目的・用途に合わせて筆記具(と情報機器)を使い分け、多様性を保ち続けることによって、これからも文字文化は発展することができるのです。
これからの社会と文字文化
『中学校学習指導要領解説 国語編』では、文字文化を「文字そのものの文化」と、「文字を書くことについての文化」の二つの側面から解説しています。文字文化についてはこれまで、あまり具体的な定義がなされていませんでした。ですので、ここに解説が示されたことは大きな意味をもっています。
これまで文字文化の学習といえば、漢字の成り立ちや書体の変遷などが想起されていました。これに加えて、人間が文字を書いてきた歴史や、社会における文字を書く活動やその意義を考えることも、文字文化として捉えるということです。これらの視点によって、書写学習の幅はさらに広がることになるでしょう。
これまでも時代の変化に合わせて、文字による表現は変化してきました。これからの社会では、デジタルの文字と手書き文字とを比較しながら、その表現効果や書くことの意義を考え、新たな文字文化をつくり出していくことが重要です。書写学習においても、伝統を守る姿勢だけではなく、現在の書字をめぐる環境のなかで、文字への興味・関心をもつ姿勢を育てることが目標となるでしょう。
書写学習にとって「毛筆は硬筆の基礎」ですが、「毛筆はデジタル文字の基礎」ともなるように、新たな文字文化のあり方を積極的に発信していきたいと考えています。
失われた文字文化を求めて
最後に少しだけ、今だからこそ残しておきたい筆記具と文字文化について触れておきます。
インクをつけて書く「つけペン」は、現在はほとんどマンガを描くためだけに生産されています。そのマンガも今では半数以上がデジタル描画となっています。つけペンおよび万年筆は、毛筆と鉛筆の中間的な書き味で、筆圧の変化を実感できる筆記具です。他にも、インクをつけて書く「ガラスペン」があります。ガラスペンは日本で発明された筆記具であり、戦前まではかなり普及していました。これらの筆記具は、戦後のボールペンの登場以降あまり見かけないものとなってしまいましたが、現在の生徒たちにとっては新鮮に映る文化だと思われます。
また、昭和40年代ころまで学校では、「謄写版」(いわゆる「ガリ版」)印刷が一般的でした。鉄筆で版を傷つけることで精巧な文字を複写できる謄写版は、印刷技術の基本的な仕組みを理解し、体験する教材としても価値があります。もしかしたらまだみなさんの学校のどこかに眠っているかもしれません。ぜひ活用してほしいと思います。
※詳しくは、杉山勇人「近代日本における筆記具の変遷史―習字・書写書道教育の基礎研究として―」『日本習字教育財団学術研究助成論文集』Vol.4、平成30年3月