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環境国際協力の道を切り開いた北九州市

中薗 哲(なかぞのさとし) 北九州市環境ミュージアム館長

地域の教材をいかした道徳授業

 道徳科で扱う教材について,学習指導要領には,「児童(生徒)の発達の段階や特性,地域の事情等を考慮し,多様な教材の活用に努めること。」(第3章第3の3(1)と示されています。主たる教材としての教科書を活用するとともに,これまで開発されてきた地域のさまざまな教材などもいかしながら,創意・工夫のある授業をつくることが求められています。

 本稿では,中学校の「国際理解,国際貢献」に該当する内容の例として,地域の課題を克服し,その経験を国際協力にいかしている取り組みを紹介します。身近な地域の事実から,国際社会の一員としてのあり方を考えていくことができます。

 2011年,福岡県北九州市は環境問題を解決しながら経済を発展させているグリーン成長都市の一つとして,経済協力開発機構(OECD)から,パリ,シカゴ,ストックホルムとともに選ばれました。

 現在では「環境先進都市」として国内外に知られている北九州市ですが,かつては「公害の街・灰色の街」と呼ばれていました。

 5市合併により北九州市が誕生した1963年には,市内の工場から出る煙は,発展の象徴として多くの人に希望を与えていました。しかし,その煙が人々の健康を脅かしていることに気づいた戸畑婦人会の人たちは,煙をなくすための活動を始めました。家族の健康を犠牲にしてまで豊かさを求めるのはまちがいだと考えたのです。

 婦人会の人たちは,まず自分たちでできることから取り組みました。洗濯物が乾く前に汚れてしまうという状況を知ってもらおうと,ばいじんを紙箱で集めるなどの調査を行い,行政や企業に改善を求めました。このような,話し合いで問題を解決しようという取り組みに対し,行政も企業もそれを真摯に受け止め,改善に向けた努力を始めました。さらに婦人会の人たちは,自分たちの活動を記録映画にすることで,多くの市民に公害の実態を知ってもらい,市民からの支持を得るのに成功したのです。

 しかし経済発展の勢いは,工場から出る煙をばいじんだけでなく亜硫酸ガスによるスモッグ警報を発令するまでに悪化させました。すると行政と企業は,法律で定められた規制よりもさらに厳しい排出基準を設定し,その達成のために,さまざまな環境対策を経済発展に優先して進めていきました。こうした努力の結果,北九州市では1970 年代半ばには,健康被害を生じないレベルの環境基準を達成し,公害を克服することに成功しました。

 公害克服のために努力する中で,企業では,ある技術革新が起きていました。生産工程を見直すことで,排出ガスや汚水の発生を少なく抑える技術が開発されてきたのです。現場の技術者の努力技術体系が確立されていきました。

 「低公害型生産技術」と名づけられたこの技術体系は,経済発展とともに工業化が始まっていたアジアの国々にとって,最も重要な技術でした。環境技術の海外移転と,その技術をいかす人材を育成するため,企業と市民が中心となり,1980年に国際研修機関である「財団法人北九州国際研修協会」(KITA)を設立しました(1992年,現在の公益財団法人北九州国際技術協力協会に改称)。

 そこでは北九州市内の多くの企業,大学や行政機関が協力し,公害克服の経験に基づいた研修計画をつくりました。また,企業の協力を得て,理論だけでなく工場現場での実習も取り入れるなどし,英語のテキストづくりや英会話の習得にも取り組みました。市民は海外からの研修員に,日本文化を紹介したりホームビジット(外国の人が,日本の一般家庭を短時間訪問し,交流すること) を実施して,もてなしたりしました。こうして,市民レベルでの交流も広がっていったのです。

 「発展途上国が経済発展する過程で公害を発生させてしまうという流れを断ち切りたい。」という強い思いは,市民,企業,行政に共通していました。

 北九州市を訪れた研修員は日本文化にも興味を示し,市民との交流を通して,日本を好きになって帰国していきました。このようにして北九州市は,これまでで150を超える国や地域から8000人以上の研修員を受け入れました。研修を受けて帰国した人たちは,それぞれの国や地域で環境対策を中心に指導的な役割を果たしています。

工場内の施設で実習する海外からの研修員工場内の施設で実習する海外からの研修

 なぜ北九州市は,このような国際協力に取り組んできたのでしょうか。

 北九州地域は製鐵所を中心に重化学工業都市としてめざましい発展をしてきました。しかし,1970年代後半に高度経済成長が終わりをつげると,地域経済は厳しい不況に見舞われました。この時北九州市は,国際的な技術交流都市として再生を図ろうと決意したのです。「技術協力は,企業にとって大切な国際競争力を失う恐れがある。」という意見もありました。しかし「教えることは自己鍛錬となり,教える側にとっても人材育成の良い機会になる。そして相互に発展していくことができる。」と考えて,市民,企業,大学,行政が協力して国際研修機関を設立したのです。

 1981年,北九州市は,友好都市である中国大連市からの要請を受けて,公害管理講座を実施しました。その後大連市との交流は,大連環境モデル地区計画の策定へと発展しました。それまで,国際協力事業は国が行うものと考えられていました。しかし環境問題においては,都市間の協力が効果的であることが認められ,国のODA事業として実施することとなりました。都市間の連携が国の外交に貢献できる―新しい視点の外交が始まったといえるでしょう。

 北九州市は,公害克服の実績とその経験をいかした国際協力により,1990年に国連環境計画(UNEP)から※「グローバル500賞」を受賞するなど,国際機関から高い評価を受けました。国際的な評価の高まりは,市民の意識をさらに大きく変えていきました。地球温暖化防止や循環型社会の形成など,地球規模の課題についても,市民の提案に基づいたさまざまな環境政策が推進されることとなりました。

 国際協力は相手国に援助を与えるだけではなく,自らの地域の発展に貢献し,さらには国レベルの外交にも貢献するものだということを,北九州市は世界に示しています。

※グローバル500賞
持続可能な開発の基盤である環境の保護及び改善に功績のあった個人または団体を表彰する制度。(環境省HPより)

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