幼いころからデジタル機器が身近にあり,インターネットやソーシャルメディアに慣れ親しんだ人たちを,「デジタルネイティブ」と呼んでいます。一概に世代では区切れませんが,現在の30代以下の方たちはデジタルネイティブ世代といえるでしょう。 ちなみに,私は大学生になってからインターネットを知り,パソコンでメールのやりとりが始まり,携帯電話で写真が撮れるようになった世代です。かろうじてまだ手書きの卒業論文が認められていた記憶もあります。そんな私より上の世代には,「大事な連絡は紙の文書で」「書類は印刷してから読みたい」「電子書籍を買うのは抵抗がある」など,「紙」へのこだわりが捨てきれない方も多いと思われます。しかし,デジタルネイティブ世代には,そうしたこだわりがほとんどない(そもそも感じていない)のかもしれません。 デジタルの世界において,文字は画面に表示されるデータです。画面に映し出されている形(字形)は,その場限りで実体ではないと考えます。そこに出現する形はデバイスによっても異なるため,字形や配列について表現の工夫を加えることにあまり意味がないという意識もあるでしょう。 このような文字へのこだわりを失いつつあるデジタルネイティブ世代の登場によって,文字文化はどう変化していくのでしょうか。そして,これからの書写学習はこの時代にどう対応するべきなのでしょうか。 ここで少し,歴史を振り返ってみましょう。 明治期の子どもたちが夢中で読んだ雑誌に『少年世界』があります。その明治38年4月号に,「書学」(図1)という物語が掲載されています。 こちらはその挿絵です。右側の椅子に座ったペン・鉛筆・インクスタンドに,左側の毛筆・硯・墨がひれ伏しています。この物語の主人公の少年は「書は姓名を記せば足るので,最もうお前達には用は毛筆から硬筆へ ―筆記具の変遷史―ないから,筆も硯も墨も裏の掃はき溜だめに棄すてて遣やる。ペンやペンシルやインクスタンドの方が何どんなに便利だか知れりやァ為しない!」と叫びます。「書は姓名を記せば足る」とは,『史記』に見える項羽の言葉です。書(文字)は自分の名前さえ書ければ,それ以上の努力は必要ないという意味で,当時の毛筆不要論における常套句でした。書写教科の視点これからの社会と文字文化 〜毛筆の近代史から考える〜鎌倉女子大学短期大学部准教授 杉すぎ山やま 勇はや人とデジタルネイティブ世代の文字文化図1 石橋思案「書学」『少年世界』11(5),博文館,明治38年4月(国立国会図書館蔵) なお,この物語では,最後に少年がペンや鉛筆ばかり使うことを戒め,毛筆による書学の大切さを説いています。挿絵の印象とは違い,結局は毛筆が大切であるという結論に落ち着く時代でした。しかし,ここからは当時の毛筆文化の衰退状況がうかがい知れるでしょう。もしも現在なら,スマートフォンやタブレットに対して,ボールペンやシャープペンシルがひれ伏しているような絵が描かれることになるのでしょうか。 もう一つ,『読売新聞』に掲載された「オリオン万年筆」(図2)の広告です。現図2『読売新聞』明治44年5月21日 朝刊4ページ(国立国会図書館蔵)10現代的な教育課題とこれからの授業デザインー教科の視点 書写特集
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