柴 正博(東海大学自然史博物館,博物館推進研究フォーラム主催)
日本の自然科学系博物館のはじまり
日本で自然科学系(自然史系と理工系)の博物館がつくられたのは,現在の国立科学博物館の前身である「東京教育博物館」でした。戦前にはこの種の博物館が日本にほとんどなかったことから,国立科学博物館の歴史が,日本における自然科学系博物館の歴史を代表するものといえます。
日本で初めてできた「東京教育博物館」の展示内容は,机や黒板など学校教育に必要な品物や実験道具,標本などでした。実は,この教育博物館の目的は,学校というものがどのようなところなのかを教える(普及する)ための展示場だったのです。なお,この博物館では,地方の学校からの依頼で,学校教育に必要な教材や標本の作成も行っていたそうです。
「東京教育博物館」は,このような博物館だったので,学校の整備がすすみ,学校教育が普及すると,その役割を終えました。そして,明治23年,文部省直轄から東京師範学校の附属となり,博物館としての事実上の活動を終えました。
科学を市民に
明治末期から大正初期になると,いわゆる社会教育(当時は通俗教育)や科学教育の重要性が高まりました。こうした動きが起こった原因のひとつに,伝染病の流行があげられます。防疫のための正しい生活知識を庶民に普及することが,当時,博物館の大きな役割となりました。
「東京教育博物館」は,「東京科学博物館」と名前を変えて大正3年に文部省普通学務局に移管され,大正6年には現在の上野に移築されました。何はともあれ博物館は再生し,率先して一般市民に科学の啓蒙をする機関として設立されました。しかし,そのころの社会情勢は悪化して,その翌年には満州事変が起こりました。
ときは戦争へ
昭和15年,東京帝国大学地質学教室の坪井誠太郎教授が学者としては初めてこの博物館の館長になりました。坪井館長は,これまでの博物館に研究部門が欠けていたことを指摘し,博物館の中に調査・研究活動という仕事を加えました。しかし,その翌年に日本は開戦し,博物館の建物は軍に徴用され,高射砲隊が駐屯しました。そして,戦争が終わったころには,多くの標本が散逸しなくなってしまい,戦火から逃れたものは標本の一部分と鉄筋の建物だけというありさまでした。
戦後,アメリカの占領軍(GHQ)が日本の教育制度を改革したときの調査では,「日本には博物館がほとんどなく,あっても財政的に貧弱で,なにも行っていない。」という報告をしました。
そして戦後
戦後の経済や科学技術の発展にともない,「東京科学博物館」は「国立科学博物館」として三度再生を果たし,活発に博物館活動が行われました。おもに理工系の展示館として,昭和40年までに新たに2号館と3号館が建設されました。
昭和33年には,日本学術会議が「自然史センターの開設の要望書」を政府に提出しました。これは,動植物の分類学の重要性と,大学における標本の収集・保管には限界があることから,「自然史センター」を政府に設立するべきとの提案をしたものでした。政府は,新宿にあった資源研究所の敷地に新たに国立科学博物館の分館をつくり,国立科学博物館に自然史センターの役割をあたえました。
ここで,国立科学博物館は初めて自然史の研究を行い,その成果を展示,普及する機関となりました。しかし,その一方で,学術会議の提案した自然史センターは,その後もしばらく日本には設立されることがありませんでした。
日本の自然史博物館
日本では最近,自然科学系博物館が各地にたくさんできてきました。その設立の目的や役割についてはさまざまですが,どちらかというと,博物館の核となる研究や標本収蔵は重視せずに,展示や教育を主体とする博物館が多いようです。国立科学博物館が最初は展示や教育から出発したという経緯をみても,日本の自然史科学系博物館は,コレクションから出発した欧米のそれとは基本的に創設の目的がちがうことに気づきます。国立科学博物館の歴代の館長の多くが研究者でないということも,それを反映している現象で,欧米の博物館では考えられないことだろうと思います。
博物館とは
本来の博物館とは,研究・収集・保管・普及といういくつかの機関が一体化した複合体だと私は考えています。特に自然史系博物館においては,その地域の「自然史センター」として,地域の自然の状態をモニターすることや,地域の自然史研究の中心的な役割を担う必要があります。また,科学や科学思想の普及という点だけを見ても,実際に研究者や研究対象物が一般の人と接し交わることが,自然科学系の博物館には必要だと思います。
最近できた科学館(理工系博物館)などは,楽しめる博物館といったイメージでつくられています。わかりやすいという点ではよいと思いますが,研究・収集・保管の機能のない教育展示機能だけの場合は,常に借り物やつくり物で普及することになり,博物館としての機能を十分に果たせないことになります。
さいごに
博物館で働く私たちが,一般の方々に博物館の目的や活動を理解してもらうためには,展示物(博物館のおもて:施設としての博物館)を見せているだけではだめで,むしろ博物館のしくみや博物館の仕事,収蔵庫の中の標本,博物館で働く人たち(博物館のうら:機関としての博物館)を知ってもらい,博物館活動自体を体験してもらうべきだと考えています。
そのためには,博物館を先生方の研修の場として利用していただいたり,地域の自然史研究センターとしての役割を強化したり,子どもたちをふくめた一般の方々が博物館活動(研究・収集・保管・普及)へ参加できる体制をつくったりする必要があることを強く感じています。■
Copyright(C)2002
KYOIKU SHUPPAN CO.,LTD. All Rights Reserved.
|