目 次 ページ 象徴の諸相2 ~象徴から感動へ,世界観へ~
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 これまで,さまざまな音楽作品の主に特定のパートの小部分を例として,象徴の手法がどのように実現されているか見てきました。今回はいわば応用編ということで,ではそんな手法が音楽の厚い流れの中で,どう感動を呼ぶ働きをしているか。他パートとの関係に分け入るところから始め,さらに自由に大胆に行われる象徴のさまざまな手法を見ていきましょう。 響きに潜む象徴の感動的実体 ――コラールにみる  そのバッハ作品のテクスチュア(音の織りなし方)を冒頭部分から読み解きましょう。内声部では,アウフタクト(弱起)の四分音符の後,八分音符二つに四分音符が続く,短いですが順次進行する上行音階的な動きがアルトとテノール(テナー)の両パートに同時に現れるのが目立ちますね。歌ったり聴いたりしていて,何か意図があるように感じられないでしょうか(アルトには同様の動きがもう一度現れる)。これに劣らず印象的なのが,バス・パートの描く,順次進行で下行する音階による,極めてダイナミックな旋律線。(譜例2)  以上,第54曲コラールの前半を微視的にみて象徴の実際について考えましたが,大きく見れば実はコラールというジャンル自体が当時の共同体のアイデンティティを象徴しているという捉え方もあります(*3)。共同体のアイデンティティ,つまり,自分が属する一つのしっかりした共同体があるということをコラールが象徴的に示しているのです。…コラールは受難曲中のほぼシーン毎に,そのシーンに立ち会ったバッハ時代の人々が体験からの深い感想を述べるかのように歌い聴く,そのために全曲中に散りばめるように配置されています。…人々はコラールの箇所に来るたびに,これは自分たちの歌と実感したことでしょう。そして時に喜悦に満ちて,時に涙を流しつつ絆を深め合い,共同体の結束を新たにした。…そう考えると,象徴の手法は微視的にも巨視的にもバッハの音楽に深く浸透しその本質を為していることがわかります。 さてバッハにあっては象徴の手法もさまざまですが,これまで述べてきた手法以外で重要なものに数象徴があります。 たとえば倍音の周波数比のように音の響きと数比の間には密接な関係があり,ヨーロッパでは古来,音楽と数との間には互いに照応する関係があるとされてきました。そのような伝統に則り,バッハは数による象徴の手法を駆使します。身近で分かり易い例としては,《マタイ受難曲》でなら最後の晩餐のシーン…イエスが,この中に自分を裏切る者がいると言うと,弟子たちが口々に「主よ,それは私だというのですか」と問う音型が11回繰り返されますが(第9e曲),これは弟子が,後にイエスを裏切ることになるユダを除き11人いることを象徴しています。 あるいはバッハのスペル“BACH”の各文字がアルファベット中で何番目か(Bは2番目,Aは1番目,Cは3番目,Hは8番目),それを足して(2+1+3+8=14)この14やその倍数が音楽の中で巧みに生かされています(*4)。 またこのB-A-C-Hの各ドイツ音名をつないでの音型については前回も触れました。

譜例1

譜例2

 だいぶバッハについての説明が長くなったので,ロマン派時代の作品へと話を移していきましょう。 《マタイ受難曲》第54曲のコラール旋律を聴くと筆者がよく連想するロマン派作品があります。それはR.シューマンの大作ピアノ曲《幻想曲 ハ長調》作品17。その第1楽章の第2主題(譜例4)の旋律はコラール旋律とちょうどオクターヴ違いですが,とてもよく似ていますね。 ロマン派シューマンの音名象徴へのこだわり
 さてロマン派時代からもう一つ,登場人物が国や地域を象徴するという面白い手法を挙げておきます。それはJ.シュトラウスⅡ世のオペレッタ《こうもり》でのこと。これは誰でも文句なく笑い楽しめる,一見,たわいない喜劇に思われますが,裏の意味を知ると,その楽しみ方も一段と深まります。 オペレッタの内容はアイゼンシュタイン男爵に恥をかかせられた,その悪友のファルケ伯爵が舞踏会で平和的に復讐するというものですが,要するにこのオペレッタの主要な登場人物が,当時の各国を象徴しているのです。まずアイゼンシュタインは新興国プロイセンを。…“Eisenstein/アイゼンシュタイン”とは「鉄石」の意味で,この名から当時の人々は直ちに,プロイセンの鉄血宰相(てっけつさいしょう)といわれたビスマルクを連想しました。ファルケについては,“Falke/ファルケ”が「鷹」の意味で,これが同じ猛禽(もうきん)類の鷲を連想させ,ハプスブルク家の紋章が双頭の鷲なので,この伯爵はオーストリアを象徴しています(*8)。
*参考文献 *1)「マタイ受難曲」礒山雅著,東京書籍,1994,p120 *2)これら不協和音の効果をはじめとする分析については以下の文献を参照。「バッハ様式によるコラール技法」小鍛冶邦隆他,音楽之友社,2013 *3)「バッハ キーワード事典」久保田慶一他著,春秋社,2012,p132 *4)実例はたくさんあるので省きますが,興味ある方は上掲書p126-127など参照。 *5)「シューマン 愛と苦悩の生涯」若林健吉著,新時代社,p197 *6)上掲書p66 *7)上掲書p119 *8)「ウィーンはウィーン」前田昭雄,音楽之友社,1991,p30
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 さまざまな象徴表現を考える際の要になるのは,やはりJ.S.バッハの作品なので,今度は名作中の名作《マタイ受難曲BWV244》中の曲で考えてみましょう。第54曲のコラール〈O Haupt voll Blut und Wunden/オー ハオプト フォル ブルート ウント ヴンデン/おお,血と傷にまみれし御頭よ〉です。当受難曲第2部の,イエス・キリストが捕われ茨の冠をかぶせられ,あざけられるシーンで歌われる賛美歌。 このコラールは当受難曲のシンボル(象徴)的存在とみなされています(*1)。ソプラノ・パートが歌うコラール旋律はルネッサンス時代の音楽家H.L.ハスラーのリート〈mein G’müt ist mir verwirret/マイン グムュート イスト ミーア フェアヴィレット/私の心は激しく乱れ〉によっていて,この旋律には,前回もマーラーの《交響曲第3番 ニ短調 第1楽章》との関係で触れました。 素朴なコラールの下のパートには単純な和音を充てて賛美歌らしいシンプルな味わいにすればよいだろう…,などと思われるかも知れませんね。ところがバッハは緻密な三つの声部(パート)を構成しています。(譜例1) さらなるバッハ的象徴へ
 …このような減音程,増音程での跳躍下行は当時,墜落や堕落(だらく)を象徴するとされました。ここではもちろん,イエスの受難による墜落です。 凄まじい変化のもう一つの要因は,次の “Schmerz/シュメルツ/苦痛”に充てられた鋭い不協和音です。ソプラノとテノール(テナー)の9度音程での厳しいぶつかりは,まさしくこの語感にピッタリです。ちなみに,曲が少し進んでの第11小節1拍目でのアルトとバスの7度のきつい不協和音程にも気がつきますね。ここは“höchster/ヘヒステル/最も高い”という言葉の箇所で,「本来なら最も高い栄光と誇りで美しく飾られていたはずの~」という文脈で,それと正反対の現実を目の前にして切なく痛々しい思いが,瞬時に何と適切に響きで表現されていることでしょう(*2)。 これら不協和音も約束事的な象徴表現と考えることができるでしょうが,ただし象徴を常に特定の音型とだけ固定的に結び付けて理解するのは行き過ぎでしょう。バッハの時代の約束事であり,現代では忘れられたり曲解されている場合もありうるので,「なるほど,この音型はそのことを象徴しているかもしれないのだな」などと,あくまで有力な可能性の一つにすぎないと考えておくべきでしょう。

譜例4

 …実はバッハの時代,バロック時代には,約束事としてこの順次進行での下行音階はイエス・キリストがこの世に降ってくることを象徴する音型とされ,また上行音階は祈りとか天に向かっての願いを象徴するとされていました。 この部分は私たちに,「象徴」という方法の本当の価値について考えさせてくれます。…マタイ受難曲をこのコラール部分まで体験してきた人は,ここでイエスの無残な姿を眼前にまざまざと思い描きつつ,バスの着実に下行する旋律線から――ソプラノが担う素朴なコラール旋律も,ここではバスにしっかり並行し,外声同士でイエス降臨の強力な流れの枠を形成している――「ああ,この方は,こうされるために,たしかに降って来られたのだ」と――理屈でわかってあとは聞き流すなどというのでなく真剣に体験するなら――心底から実感するのです。表現の対象たる行為(降臨)が象徴という作用を通じて心に迫って来ます。同時に私たちは,内声部の動きを胸の奥に落とし込みつつ,祈ります。救い主の尊い行いによって自分たちがたしかに天国に行けますようにと切実な気持ちで…。象徴という作用が「いのち」を得る瞬間です。(筆者は何度も,《マタイ》演奏中にそんな体験をしました。) 象徴のこの作用と連携し,体験を深めさせるのが冒頭部分の調の変化。最初は,受難という大いなる悲劇を表すかのようにニ短調主和音で始まりますが,まもなく,臨時記号もなく自然に平行調であるヘ長調に変わります。“Blut(血)”とか“Wunden(傷)”という痛ましい言葉なのにわざわざ明るい長調に行き,しっかりカデンツするのは不思議に思えませんか。…決して気まぐれとか成り行きの結果ではない。それは,受難という一見最悪の悲劇と思われる行為や出来事が,実は私たちにとっては絶望の悲劇であるだけでなく,救いをもたらす明るい希望にもなるということを,調の変化という響きの世界で象徴しているのだと考えられます。 さて,最初のフェルマータの箇所でいったん完全終止した直後,突然,曲はニ短調に引き戻されます。苦痛とあざけりに満ちた現実に急に叩き込まれるかのように。この変化が何とも凄まじい。密集的な和音から外声が反行して開離的和音へ進行しますが,バスに現れる特徴的な減4度の下行の動きがこの凄まじさの第一の要因でしょう。(譜例3)

譜例3

 《マタイ》がF.メンデルスゾーンによって蘇演されたのが1829年,《幻想曲》を作曲していた1836年頃,すでにメンデルスゾーンと親しくしていたシューマンがこのコラールをよく知っていた可能性は十分あります。当時,シューマンはクララとの交際をその父ヴィークに猛反対され絶望の淵にありました(*5)。彼が自らの深い嘆きを象徴するものとして,キリスト受難のこのコラール旋律によって,力作中の重要な素材を書いた可能性は十分にあります。 シューマンは象徴の手法をよく用いていました。B-A-C-H音型のような音名象徴はしばしば行なっていて,有名なところでは,アベッグという女性の名前のスペルA-B-E-G-Gをそのまま音名として読み主題にした《アベッグ変奏曲》作品1(*6)や,当時の恋人エルネスティーネの住んでいた街アッシュのつづりA-S-C-Hという音名による旋律に基づいて書かれた《謝肉祭》作品9などがあります(*7)。 以上は,ピアノ曲での象徴法の例ですが,シューマンはまたユニークなヴァイオリン・ソナタでも同様の手法を生かしています。それは,《F.A.E.ソナタ》と呼ばれているもので,シューマンの友人であるディートリヒとブラームスと,三者の合作ソナタです。シューマンが呼びかけ彼が第2,4楽章を,ディートリヒが第1楽章,ブラームスが第3楽章を作曲しました。「F.A.E.」とは彼ら三者の共通の友人であった名ヴァイオリニストのヨアヒムのモットーとされていた“Frei aber einsam/フライ アーバー アインザーム/自由に,しかし孤独に”の各単語の頭文字からとられたものです。遠方から来るヨアヒムの歓迎の意味で書かれたこのソナタには音名F,A,Eによる素材が散りばめられています。 (ここでは省略しますが,ブラームスもこの種の手法はよく用いていました。)
人物象徴で世界観の表現と華麗なリベンジを
 《こうもり》が作曲された頃,オーストリアは普墺戦争(ふおうせんそう…プロイセン=オーストリア戦争)に負け国民はがっかりし,何らかの復讐(憂さ晴らし?)が求められていました。それをこのオペレッタで見事に平和的に果たしたわけです。他にもアイゼンシュタインの妻ロザリンデは,チャルダーシュを歌いハンガリーを,舞踏会を主催するオルロフスキー侯爵は名前からわかるようにロシアを象徴するという具合で,主要な人物が当時(19世紀後半)のヨーロッパ大陸の列強を暗示しています。 さらに舞踏会のクライマックス,第2幕フィナーレでカノン風の重唱から合唱へと盛り上がる箇所を「兄弟姉妹となりましょう」と先導するのはファルケで,これにはヨーロッパ統一の要となりたいオーストリアの願望が,そしてオーストリア中心の世界観が象徴的に示されているとさえいえるでしょう。 なお,この「兄弟姉妹となりましょう」という言葉から,音楽のお好きな読者の皆さんは何か他の曲を連想しませんか。…そうです,ベートーヴェンの《交響曲第九番》第4楽章の合唱ですね。「全ての人たちは兄弟となる」と歌われていました。つまり1874年に初演された《こうもり》でファルケがリードする歌は,そのちょうど50年前(1824年)に初演された《第九》を象徴的に示しています。 …《こうもり》の舞台をみる人々は,半世紀前にベートーヴェンがウィーンで,兄弟となろうと呼びかけ打ち立てた音楽史の輝かしい金字塔を,そしてオーストリアが音楽において世界をリードしていた栄光の日々を,まざまざと思い出したことでしょう。象徴の手法が人類愛の世界観を,舞踏会のステージで華やかに蘇らせたのです。 このように象徴の手法は,バロック期の約束事としての,また文字列を音名として読んでの音型などから,ジャンル(バッハのコラール・ジャンルがそうでしたね)や,この《こうもり》での登場人物に至るまで,時代を越え広いジャンルに渡って実にさまざまな形,手法で生かされています。 第5回から2回に渡って象徴の諸相について述べましたがいかがでしたか。次回はいよいよ最終回です。まとめとして,引用と象徴の手法がともに生かされた名作を実例に,音楽表現の奥深さと,さらなる可能性を探っていきましょう。
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