これまでさまざまな例をあげながら,「引用」と「象徴」の諸相をみてきましたが,いよいよ今回は最終回なので,中学高校の皆さんにとって,とても身近な作品を取り上げて,「引用」「象徴」の発展的な実例を紹介しましょう。 目 次 ページ
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名作を特徴づける旋律進行  J.ゲーテの詩《魔王》は優れたバラーデとして有名で,当時多くの音楽家がこれに曲をつけていました。中でもよく知られた作曲に,J.ライヒャルトとC.レーヴェのものがあります(譜例2,3)。  真相は筆者にもわからないですが推測はできます。なぜって?…それは,3人とも偶然なのか,よく知っていた,魔王に関係する別の旋律があって,その旋律中に5度上行音程がとても印象深く使われていた。そこで3人とも,意識してか,しないでか,この音程を自作中で使ってしまった,…そういう推測です。まんざら,でたらめともいえないでしょう。以前にも研究者の中に,これに近い指摘をしている人がいました。たとえば,W.ヴィオーラという,ドイツ民謡の研究でも名の知れた人は,ライヒャルトとシューベルトは,ともに力強い上方への5度跳躍旋律を含む民衆バラーデを知っていたし,ロマン主義のバラーデには他にもこのような跳躍が見いだせるとしています。(*1) さてそんな推測が事実だとすれば,シューベルトは別の曲(ひょっとしたら魔王伝説に基づく「原初魔王」とでもいうべき民衆バラーデ?だったかもしれない)から,この特徴的な5度音程を含む旋律を「引用」したといえるかもしれません。もちろん引用という場合は,旋律形の範囲など全体がもっと明瞭な場合が多いと思いますが,この《魔王》の場合も,広義であれば「引用」に当たるのではないでしょうか。 推測の大きな可能性――芸術の源泉へ  さてロマン派時代からもう一つ,登場人物が国や地域を象徴するという面白い手法を挙げておきます。それはJ.シュトラウスⅡ世のオペレッタ《こうもり》でのこと。これは誰でも文句なく笑い楽しめる,一見,たわいない喜劇に思われますが,裏の意味を知ると,その楽しみ方も一段と深まります。 オペレッタの内容はアイゼンシュタイン男爵に恥をかかせられた,その悪友のファルケ伯爵が舞踏会で平和的に復讐するというものですが,要するにこのオペレッタの主要な登場人物が,当時の各国を象徴しているのです。まずアイゼンシュタインは新興国プロイセンを。…“Eisenstein/アイゼンシュタイン”とは「鉄石」の意味で,この名から当時の人々は直ちに,プロイセンの鉄血宰相(てっけつさいしょう)といわれたビスマルクを連想しました。ファルケについては,“Falke/ファルケ” が「鷹」の意味で,これが同じ猛禽(もうきん)類の鷲を連想させ,ハプスブルク家の紋章が双頭の鷲なので,この伯爵はオーストリアを象徴しています(*8)。  それにひょっとしたらこの5度上行という大胆な跳躍には,これから起こる,魔王,父,子による息詰まるドラマへの予感が「象徴」されているのかもしれない。…だとしたら,これを歌い聴き解釈する者は,このような表現の意味をしっかり理解する必要があります。解釈者が,三者の緊迫したやり取りと子の死という個別のできごとを通じ,さらに,芸術における,より広く普遍的な,根源的「緊迫感」の感得に立ち至ることができたなら,「象徴」という行為は,芸術体験において極めて有意義な「奥の深い」それとなるでしょう。 その根源的「緊迫感」に迫る「象徴」の手法を,今度は「調性の変化」という視点からみてみましょう。…魔王が現れるたびに,調性は譜例4のように変化しますね。
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 中学校教材でおなじみ,F.シューベルトの歌曲《魔王》です。…風の吹きすさぶ夜,馬を飛ばす父,腕の中で息も絶え絶えの子,やがて始まる魔王の誘惑,脅迫…。聴いていて不気味な光景が目に浮かび,ぞっとした人もいるでしょう。あるいは,「音楽って,そこまで表現していいの?」と自問した人もいらっしゃるかも。恐怖とか残酷さとか…。そう,18歳の,まだ少年のあどけなさが残るシューベルトは,極限状況を見事に描き出しました。 ではそんな迫真性を演出している音楽的要素は何でしょう。調性変化,伴奏形etc.さまざまあり,すでに筆者も他の機会に指摘してきましたが,ここでは連載のテーマに沿い,旋律形,節回しに注目。聴き手をクリティカルな状況に引きずり込む,最初の状況設定に与えられた旋律「♪~こんなに夜遅く,風と闇の中,馬を駆るのは誰だ?」(譜例1),この冒頭旋律からしてひどく印象に残りませんか。 独創か引用か――「恐怖」の根源
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「引用」と「象徴」 ~《魔王》でたどり着いた 広がりと深み~  では旋律の特徴的な動きはどこにあるでしょう。旋律の後半で順次進行の滑らかな動きが音程にして3度下がったと思うと,その最下音をバネに旋律は突然5度上に跳躍する。鋭い動きが心にグサッときませんか。「さすがシューベルト,旋律の天才!」と言いたくなったりして…。でも,ちょっと待ってください。この,まさにシューベルト《魔王》を特徴づけるかの5度の旋律進行は,シューベルトの独創なのでしょうか。実は,そうとは言い切れないのです。…

譜例2 J.ライヒャルト作曲

シューベルティアーデで恐怖体験? 響きや構成のその先へ  そこでさらに,この魔王出現の各部分を含めた歌曲全体の調性の変化を調べます。この曲の原調はト短調ですが,曲が進むに連れ,めまぐるしく調が変化していきます。順に現れる各調の主音を結んでいくと,最初はト短調ですから音名にして「ト音」ですね。そこから(複雑になるので細かい変化の説明は省きますが)概ね「変ロ音」「ハ音」「ニ音」などと続き次第に上昇し,魔王の最後の決定的な脅迫が始まるところで,頂点の「変ホ音」に至ります(譜例4も参照ください)。すると子どもが抵抗を止め死ぬところでしょうか,そこから一気に最初の「ト音」まで下行する…そんな大きくはっきりした流れが見えてきます。概要は譜例5のようになります。要するに,魔王が子どもを追いつめ緊張感の高まる過程と,恐ろしい結末が調の変化で表されています。 *参考文献 *1)《ドイツ・リートの歴史と美学》石井不二雄訳,音楽之友社,p.157 *2)少し観点は違いますが,以下の文献でも同様の指摘があります。 ツカーカンドル《音楽の体験》馬淵卯三郎他訳,音楽之友社,p.228  何とこの両者ともに,自らの曲の冒頭部分の旋律で5度上行を印象深く用いているのです。その結果,シューベルトを含め3人の作曲は(全体の形式,構成など全く異なるにもかかわらず)何となく似ている印象を受けます。「魔王の世界」とでもいえる時空が我々の前に広がる,…その主因はこの5度上行による魔王節(ぶし)!?とでもいえる進行のようです。では三者の「5度」の共通性は偶然の産物でしょうか。 3人がこの5度上行を印象的に用いたのは共に詩の冒頭の2行,「夜,馬を駆るのは誰だ?」「それは父と子」,聴き手を一瞬にして切迫した場面,「魔王の世界」の入り口に立たせる,問いと答えの箇所,しかも5度は5度でも主音から属音への完全5度跳躍上行という点まで全く共通して?偶然にしては出来過ぎではないか。…では3人で示し合わせた?「おい,《魔王》の頭はトニックからドミナントへ5度跳んで始めようぜ」と!?それはありえない,三者の活動の時空にずれもあることだし。互いの直接的な影響関係はちょっと考えにくい。では一体なぜ?

譜例4 魔王の旋律の各出だし  ※比較のため同一の調号で記譜しています。

 …ですからドラマ進行がそのまま調変化という音楽の流れに「置き換え」られている,あるいは広い意味でいえば,音楽の流れで「象徴」されているといえるでしょう。 そこでもう一度問います。私たちがこの曲を聴いて,追い詰められる緊張感を味わうのは詩の内容によってでしょうか,あるいは歌い手のリアルな表現の巧みさによってでしょうか。それももちろんでしょうが,筆者はこうしてシューベルトの音楽構造そのものが緊張感,恐怖感の最も強力な源である気がするのです。 しかしこの音楽の凄さはこれだけに留まりません。さらに周到な仕掛けがある。……先ほどの,主音を結ぶ流れ,譜例5に示した流れでの音高変化の様相は,そう,曲頭からピアノ左手に執拗に現れる音型でのそれに(譜例6),フラクタル構造のようにしてほとんど重なります。(*2) 言い換えれば,この音型は歌曲全体の調的な流れ,ドラマをまさに「象徴的に」示しているわけです。私たちは前奏でこの短く瞬間的な音型を何度も聴かされ,なぜかわからぬままに,いわばサブリミナル効果のようにして,これから起こるドラマ――次第に上昇…,追いつめられ,…一気に崩れ落ちる――を予感させられるのではないか。そして歌曲全体で予感が現実と化す恐ろしさ…。
「引用」と「象徴」――解釈の醍醐味へ  …以上,シューベルト《魔王》を調べてみました。ここでの音程や音型の手法は,あくまで広義での「引用」「象徴」というべきかもしれませんが,「引用」「象徴」の追究により,音楽の特別な深みへ到達できたように思います。この名作を真に味わうのに決定的な方法かもしれません。  以上で今回の連載を終わりたいと思います。「引用」「象徴」の実際をさまざまな実例をあげて紹介してきましたが,まだまだ他にもお話ししたい好例などあります。たとえばW.A.モーツァルトのジングシュピール(ドイツ語のオペラ)《魔笛》など象徴の塊のような作品で,それを知っているのと知らないのとでは味わいもだいぶ変わってきたりしますが,それはまた別の機会にでもお話しいたしましょう。 …私たちは音楽を聴いたり演奏したりするとき,とかく響きを表面的に体験して,感覚的に「気持ちいい」などと思うに留まったりしがちです。あるいはその曲に興味をもって「どうなっているのだろう」と曲の構成を調べたりまでは自然にしますね。でも追究はせいぜいそこまでで終わりがち。すると,ちょっと「もったいない」場合もあります。表面的な響きや形式構成の先にこそ,その曲の秘密,本当の価値があるのかも…。そんなとき,「引用」や「象徴」の手法を発見すれば,それを手がかりに,音楽の真実の価値にたどり着けるかもしれない…。 とはいえ,「引用」にせよ「象徴」にせよ楽曲中に,「ここは引用である」などと楽譜に明記されていない場合が多いので,それらを発見するのは容易でなかったりもします。いろいろ調べる努力も要るでしょう。でもそれが大変だからとそこで諦めないでほしいですね。調べる過程でその曲への理解がさらに深まるのはもちろん,別のさまざまな魅力的な音楽にも出会えるのは,これまでの連載中で述べてきたとおりです。苦労と努力の実りとしての豊かな「発見」を楽しんでください。 そしてさらに,発見を単なる「あった!」に終わらせず,その先をも目ざしてください。それはつまり「知ることによる,作品の真の価値との遭遇と,感動の深まり」です。 当連載ではそのような一連のプロセスをどのようにして実現していくか,つたない実践例ですが,述べてきたつもりです。皆さんのこれからの音楽体験に少しでもお役に立てば幸いです。

譜例3 C.レーヴェ作曲

変ロ長調

変ホ長調

ハ長調

譜例5

譜例6 曲頭の左手の音型

譜例1

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