前回まで3回に渡り,様々な「引用」の在り方をみてきました。今回からは「象徴」の多様な在り方に話を進めます。象徴とは,およそ次のように捉えられるでしょう。 たとえば「鳩は平和の象徴」と,よく言われますね。鳩という生物は,もちろん人間界の平和という状態そのものではありません。それなのに「鳩=平和」と連想されるとしたら,それはこれまでの文化や歴史の中で育まれてきた経験や知識から生じたものです。その結果,鳩以外の事物や観念が鳩に表されており,それがまさに「象徴」です。音楽の場合,たとえばここでいう鳩に相当するのは特定の旋律です。となると次のようにいえるでしょう。『ある曲の全体,あるいは特に曲の中で用いられた特定の旋律や音型,さらに細かい音程,音高や音価などに,音楽外の事物,観念などを表現させたもの(あるいはその行為)』と考えられます。その際,直接に表現内容や意図を説明する言葉や標題などはなく暗示されるにとどまっている場合も多いです。 今回は,旋律という音楽要素を切り口として,その具体的な特徴(音名)による象徴の例と,その旋律の背後にある様々な観念などが読み取れる例を紹介して,象徴表現の広がりと奥深さを探ってみましょう。  まず「音名象徴」と言われる手法をみてみましょう。例としてイギリスの作曲家G.ホルストの組曲《惑星》作品32の第6曲〈天王星〉を挙げます。1916年に完成されたこの組曲はホルストの代表作として,太陽系の各惑星を描いています。 〈天王星〉は金管楽器の吹奏で始まります(譜例1)。
「音名象徴」が明かす星の価値 ――グスターヴ・ホルスト
目 次 ページ 象徴の諸相1 ~音名象徴を機軸に表現の深みへ~
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 ちなみに実際の天王星も(太陽系内の諸惑星の中では最も地味なイメージ?ですが)それなりに話題性があります。近くまで行った探査機は1986年のボイジャー2号で,それを機に天王星にも環があることが広く知られるようになりました。筆者はそれが,見慣れた土星の環のように横に広がっているのでなく,縦に上下に伸びている(星の自転軸とその環が横倒しとなっている)凄い図を初めて見てあ然としたのを今でも思い出します。 天王星を発見したとされるのはW.ハーシェルというハイドンやモーツァルトと同時代の人物で,彼もホルストと同じくイギリスに住んでいました(生まれはドイツ)。ハーシェルは元々,交響曲などを作曲し,ヴァイオリンやオーボエを奏する優れたプロの音楽家でした(作品はCDなどでも聴けます)。それが1781年の天王星の発見を契機に天文学者に宗旨替えし,この分野でも銀河系のモデルを発表したり,観測から天王星の環を予見したりするなど,文化・科学に大きな変革をもたらす優れた業績を残しました。いわば前半生と後半生で異なる分野で,それぞれ見事な仕事を為しています。もっとも音楽と宇宙とは古代から深い関係があったので,ある意味,自然なことなのですが。…ホルストも祖国のそんな立派な大先輩を意識しつつ《惑星》を書いたのかもしれません。  次に,《惑星》と似た外観を呈しながら象徴内容がかなり違う,別の曲の例を挙げてみましょう。1896年に完成された,G.マーラーの《交響曲 第3番 ニ短調 第1楽章》で,これも同じく金管ユニゾンの強奏でいきなり曲の冒頭で提示される旋律です。しかしこの旋律は〈天王星〉の音名象徴のように具体的で論理的というより,ある意味,感覚に訴え,響きの背後に深く広い象徴的な意味合いをもって使われています(譜例2-1)。  それだけでさえありません。マーラーのこの旋律は当時の学生歌に由来するという説もあります*2。…19世紀前半のビーダーマイヤー時代の学生運動に端を発する歌があったのですが,それが世紀後半のマーラーの時代に,時の空気を反映して再び政治運動に関連する象徴的な意味を獲得し,マーラーに用いられたというものです。さらにはこのようなある種通俗的な旋律を用いるのは彼の深層心理によるものであるという,同時代の精神分析医S.フロイトの見解もあります(マーラーは1910年にフロイトの精神分析を受けました)。この旋律のそんな象徴的意味に着目すると,マーラーの時代,世紀の変わりめの時代における「無意識下の世界」の発見の重要性に改めて気づきます。その潮流が,遡ることおよそ1世紀前の,啓蒙(けいもう)主義時代のウィーン古典派音楽とは全く異なる新しい芸術文化を導く要因のひとつになったことにまで考えが及ぶでしょう。 …こうしてホルストからマーラーとみてくると,(両者の単旋律の)単純そうな構造の背後に実は広大な世界が広がっていて,象徴とは実に多義的,重層的な行為・現象であることがわかってきます。 20世紀ドイツの高名な音楽教育学者M.アルトは,音楽芸術作品を三層構造として捉えました*3。響きの前面である実在層,構築の実体としての構造層,それらの背後にある究極の層=象徴層(Symbolschicht/ジンボールシヒト ドイツ語)からなるとして。この象徴層には「音楽外的な,音楽の彼方(かなた)の,音楽を超越した意味」や「宇宙的な法則の反映」などまでも見たりするというものです。音楽の味わい深い体験とは,まさにそのような多層的な作品中での象徴の在り方の体験といえるのではないでしょうか。

譜例1

譜例2-1

譜例2-2

譜例3

 さてそんな響きの背後に広がる意味としての象徴の,別の例を挙げておきましょう。ホルスト《惑星》で述べた,作曲者の名前による音名象徴の典型としては,他にも,あのJ.S.バッハの名によるものがあります。ドイツ語の音名でB-A-C-H(ベー,アー,ツェー,ハー)という音の動きによるものですね(譜例3)。  最後のミサ曲《第6番 変ホ長調 D 950》のこの章は,この主題に始まり異様なほどの高まりをみせます。「アニュス・デイ」とは「神の子羊」の意味で,我らのために犠牲になられたイエス・キリストを子羊にたとえ讃える章ですが,シューベルトはその悲劇性を強調し,この上なく深刻な音楽としました。 さてバッハのフーガも重々しい暗い性格をもっています。そこに何が象徴されているか。バッハの他の曲でもこの動きは用いられています。端的にその表現内容がわかるのは,《マタイ受難曲》中で「Laß ihn kreuzigen !/ラス イーン クロイツィゲン/イエスを十字架につけろ!」と叫ぶ群衆の合唱です*4(譜例6)。そう,この動きには「十字架への叫び」が象徴されているといえるでしょう。
「象徴」のすごみ ――フランツ・ペーター・シューベルト
 しかしシューベルトの仕事はそれだけにとどまりません。ほぼ同時期にH.ハイネの詩によって書いた《影法師》という歌曲があります(歌曲集《白鳥の歌》D 957より)。歌曲王シューベルトが最後にたどり着いた実に簡素な,鬼気迫る名作ですが,この4音の動きがオスティナート(ある音型を続けて何度も繰り返す)として用いられ,不気味さと恐怖感を高めていきます(譜例8)。  歌詞内容は,「夜に男が昔の恋人がいた家の前を通ると,そこに別の男がいて苦しんでいたが,顔を見ると何とそれは自分自身だった」という奇怪なもの。その,眼前に突き付けられた苦痛と宿命が,オスティナートの動きに象徴されたアニュス・デイ章での十字架上のイエスのそれと結ばれ体験されるとき,底知れぬシューベルト的表現世界が現れ,「象徴」のすさまじい作用に,改めてがく然とさせられるのです。(次回へ続く)
*参考文献 *1)『グスタフ・マーラー 現代音楽への道』柴田南雄著,岩波書店,2010,p82-83 *2)『マーラーと世紀末ウィーン』渡辺裕著,岩波書店,2004,p44-55 *3)“Didaktik der Musik” M.Alt, Pädagogischer Verlag Schwann,1968より。次の拙著中でその詳しい説明をしてあります。『「癒し」を越えるクラシック』音楽之友社,2002,p203-208 *4)『神こそわが王 精神史としてのバッハ』丸山桂介著,春秋社,p155-156 ※文中の黄色字をクリックすると用語の解説が表示されます。
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 ハーモニーなしのユニゾンでの強奏は,さも「この音の動きを聴け!」と言わんばかり。なぜ曲の冒頭でこんな意味深な表現をしたのでしょうか。…実はこの,ドイツ語の音名でG-Es-A-H(ゲー,エス,アー,ハー)という動きは,彼の名前つまりGustav Holst(グスターヴ・ホルスト),そのつづりからとられたと考えられています(Esはsの発音から)。音名が作曲者自身を象徴的に表しているらしいのです。曲が進むうちにこの動きは変形されながら何度も現れ,曲の構成中で非常に重要な役割を演じていきます。 さて,《惑星》第6曲のタイトルは“Uranus, the Magician/ウラヌス,ザ・マジシャン”つまり「天王星,魔術師」です。ホルストは占星術的なイメージをもってこの組曲を書いたとのことですが,占星術では,天王星は一般に社会的な変革を象徴するなどと考えられています。ホルストはそれにさらに発展的な意味合いをもたせたのではないか。人類に決定的な変革をもたらした者,…ここでギリシャ神話の巨人プロメテウスが思い浮かびます。彼は,先見的な力=魔術をもって,人間に天上界から盗んだ火=知性を与えました。プロメテウスのような存在としての星…,それにホルストは自らを重ね合わせて表現したように思われます。プロメテウスはトリックスター,つまり秩序の破壊者,盗人ですが,トリックスターには奇術師,つまり魔術師という意味があります。 さてこうなるとこの第6曲〈天王星〉こそが作曲者名を冠せられ,組曲全体の中でも際立って本質的,重要なナンバーということになるかも。…組曲《惑星》といえば,おどろおどろしい楽想の第1曲〈火星〉や,主旋律の雄大さで知られる第4曲〈木星〉などのほうが有名ですが,〈天王星〉での音名象徴の意図がわかると組曲《惑星》の認識が新たになるかもしれません。
「象徴」の多様性と広がりへ ――グスタフ・マーラー
 この旋律ほど,聴き手を腕づくで引っ張っていく強烈な出だしはないでしょう。しかしそんな性格に勝るとも劣らず印象深く,この旋律はさまざまな他の有名な旋律や事象を重層的に連想させ思い出させるのです。たとえばJ.ブラームスの《交響曲第1番 ハ短調 作品68 第4楽章》のテーマ(譜例2-2)を,あるいはJ.S.バッハの《マタイ受難曲》中のコラール〈血潮したたる主の御頭(みかしら)〉の旋律(譜例2-3)などを思い起こさせます*1。これらの旋律は,細かく見れば各音の音程関係などかなり異なっているので,マーラーがそれらを引用したとまではいえないでしょう。しかしマーラーの旋律から多くの人が例えばブラームスのそれを連想するし両者の間にはつながりがあるように聞こえます。つながりとはロマン派音楽の交響曲の伝統でしょうか。この旋律はそんな伝統を象徴しているのかもしれません。さらには遠くバッハのドイツ・バロック音楽以来の伝統をも内包 しているように思います。

譜例2-3

 これはあまりに有名でよく説明されているのでここでは省きますが,これに似た音程関係でこれとは違う音の動きの例を紹介しておきます。《よく調律されたクラヴィーアのための曲集(いわゆる平均律クラヴィーア曲集)》第1巻 第4番BWV 849の嬰(えい)ハ短調フーガでの主題の動きです(譜例4)。

譜例4

 第2音と第3音の間がB-A-C-H主題でのそれより半音広くなっていますね。この4音の音程関係による動きは,後の1828年にF.シューベルトが最晩年の名作ミサ曲中で印象深く使いました。Agnus Dei(アニュス・デイ)章の主題として現れます(譜例5)。

譜例5

譜例6

 ところでシューベルトはバッハのこれらを知っていたのでしょうか。バッハの人と作品は死後いったんそのほとんどが忘れられていたので,クラヴィーア主題の方はともかく,《マタイ》の群衆の主題まで知っていたかどうかわかりませんが,この動きにそんな象徴的性格を与えられること―それは当時の慣例的な音楽語法だったのかもしれない―を知っていて,イエスの犠牲を十字架と結んで,ある種の シニフィエとして自らのアニュス・デイ章を書いたのかもしれません。 ここで譜例4でも5でも,四つの音の第1音と第4音,第2音と第3音を直線で結ぶと両線は交差し十字架が現れます(譜例7)。

譜例7

譜例8

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