2008 autumn

LiCa・HOUSe
理科ハウス
館長 森 裕美子 先生
 インタビュー(1)

 今年5月にオープンした理科ハウスは,ミニコミ誌『なるほどの森』を1994年から発刊し,科学あそび伝道師として,身近な材料を使って親子で楽しめる実験を数多く紹介してきた森裕美子先生が館長を務める私設の科学館です。
 今回は,森裕美子館長に,理科ハウスを開くまでの経緯や現在の取り組みなどについて,お話を伺いました。

(聞き手:編集部 岡本)

 

■「理科ハウス」ができるまで■

── よろしくお願いいたします。ここ「理科ハウス」は今年5月にオープンしましたが,先生は,ミニコミ誌からスタートされて,どういうお気持ちでここまで続けてこられたか,お聞かせください。

森裕美子先生 (以下,森)「ミニコミ誌を刊行したあと,逗子市内で月に1回,科学遊びを紹介する『サイエンス道場』をやっていました。勝手に自分で名づけたんですが,なぜ『道場』と呼んだかというと,借りていた場所がすごく古い家で,道場みたいだったんですよ。(笑)真っ暗で,電気は暗いし,昔ながらの縁側があるような畳の部屋でした。逗子市の施設で,公民館みたいなものですね。」

── それは,いつごろの話ですか。

「2年半から3年ぐらい前の話です。『サイエンス道場』を始めたとき,『理科ハウス』を建てる話はまだありませんでした。『道場』は,毎回20人ぐらいで,宣伝もしないのにリピーターがたくさん来たんですよ。1回やったら面 白いと言って毎回来る子もいて,半分ぐらいはリピーターでした。けっこう定着していたんですが,『理科ハウス』の準備が始まって忙しくなってきたものですから,『サイエンス道場』は今年の1月でおしまいにしたんです。」

── ここ「理科ハウス」を作るきっかけは,地域の方々に理科の楽しさを伝えていた「サイエンス道場」の中から生まれてきたんですか。

「それもありますね。いまの子どもたちは,サッカーに行ったり,塾に行ったり,すごく忙しいんです。私が『道場』をやる日は月に1回と限られてしまうので,その時間にほかの用事が入っていると,まったく科学あそびにふれる機会がないんです。ほかにやっている人もあまりいないし,『サイエンス道場』に行きたいけど行けないという声を何度も聞いているうちに,これは子どもたちの都合にこちらが合わせないと無理だというのがわかってきました。いつでも来られてちょこちょこっとできるようにすれば,子どもたちは来られるんじゃないかと。もともと,『なるほどの森』でも,家で自分の子どもたちとちょこちょこっとやっていたのを紹介していたんですから。要するに,ほかの子どもたちを見ようとすると,家のような場所があって,そこにちょこちょこっと来れるようにしておかないと,『なるほどの森』でやっていたような環境は作れないんだなというのがわかってきたんですね。」

── 現実問題として,子どもが来られなくなるという状況があったんですね。

「そうですね。だんだん高学年になるほど来るのが難しくなりますね。だから,5〜6年生とか中学生とかもやりたいけども,とても忙しくて来られない。どこも,集まる子どもたちが低年齢化しています。1年生や2年生が多くて,3年生以上と書いても3年生ばっかりです。科学あそびを伝える側には,4年生5年生6年生が来ない,という同じような悩みを抱えている。それは,子どもたちが忙しくなってきているのもあるし,どっぷりつかれる場所もないわけです。科学館に行けばいいんだけど,科学館はそんなにあちこちにあるわけでもないので,もっと寺子屋的な感じのところがあってもいいのではないのかな,と思っています。」

── まさに寺小屋の延長線上にこの「理科ハウス」があるといった感じですね。

「そうですね。科学読物研究会に友達がたくさんいますけど,みんなは文庫をやっているんです。家庭文庫ですね。科学の本だけではなくて,物語もいっぱい置いていますが,科学読物研究会の人たちは科学に興味のある人が多いので,文庫に来る子どもたちを相手に科学あそびをやっているんですね。それを見せてもらったら,まさしく私がやりたいことだったんですよ。文庫に来る子どもたちは近所に住んでいで,頻繁に来るわけですよ。そして,来たときに科学あそびをちょこちょこっとやる。子どもの都合にあっているわけです,こちらの都合でなくて。これはいいなあと思って。ちょうど自分の家は,荷物がすごいパンパン状態になっていたので,どこかに場所を作って,そこに本とかも移動すれば,子どもたちは来たいときに来られるし,しかもずっとやってきた『サイエンス道場』みたいなものもできる。」

── その話が具体的に形になったのは,だいたいいつごろのお話ですか。

「2年半ぐらい前だったと思います。たいへんだったんですよ。初めは無茶な考えだなと思って。予算の上限があることなので,もちろん夢を全部かなえるわけにはいきません。何を優先するかを決めていかなればならないわけですよ。いろいろ悩んだこともありました。」

── これは絶対に譲れないとか,これは絶対に実現させようというものはありましたか。

「場所ですね。立てる場所はすごく優先しました。この近くに第一運動公園があるんですけど,絶対に運動公園のまわりと思っていました。広い所に行ってやりたいんです。「理科ハウス」に集まった子どもたちに,シャボン玉 をしに行こうとか,ロケットを飛ばしに行こうとか,星空を見ようとか,そのままみんなで運動公園までぞろぞろ行けるじゃないですか。運動公園も学びの場にしようということが発想としてあったんです。
 あとは,逗子市民がだいたいわかる場所。ここは表通りに面してますが,ちょっと路地に入っちゃうともうわからないので,目立つところに立てたいなあという気持ちがありましたね。 」

 


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