2004 spring

滋賀県立琵琶湖博物館
事業部長 中島 経夫 先生
インタビュー(2)

 日本最大の湖のほとりに建つ滋賀県立琵琶湖博物館は,「湖と人間」をテーマに,1996年にオープンしました。
 今回は,博物館の特色や研究内容などについて,開設準備室の頃から勤務され,現在は総括学芸員の中島経夫先生にお話を伺いました。

(聞き手:編集部 岡本)

 

■交流の場としての博物館■

─― 琵琶湖博物館において,〔研究・調査〕が基礎になるとのことですが,他の事業についてはどのような位 置づけですか?

中島経夫先生 (以下,中島)「琵琶湖博物館の事業の1つに〔交流・サービス〕を挙げましたが,ふつう,博物館では普及活動という言い方をします。普及というのは,決まった知らせたい内容があるのです。その知らせたい内容を広げる。それが普及ですね。しかし,うちの博物館はそういう言い方はしません。あえて〔交流・サービス〕という言い方をしているわけです。要するに,一方的に博物館利用者に対してある知識を普及するという立場は絶対にとりません。わたしたちがいちばん大事にしているのは身近な環境と人々の暮らしであり,そのことをわたしたちが情報として知らなければ博物館の知りたいことはわかりません。こうした立場で,利用者側と博物館側が双方向でやりとりをすることを呼びかけ,いろいろなやりとりしながら情報を得ています。そういう意味から,〔交流・サービス〕という言い方をしているのです。
 今,受付で制服を着ている人がいましたね。あの人たちは,展示交流員といって,ふつうの博物館だとボランティアさんがやっています。ここでは,ボランティアではなくて,お金を払ってやってもらっているのです。正規職員ではないのですが,委託業務という形をとっているのです。ふつう,展示解説員と言われたりしますね,うちでは展示交流員と言います。どうしてかというと,例えば,展示物を通 して来館者と博物館を結びつける役割をしている。つまり,こういう展示を見て,『こういうものを見たことがありますか?』ということを聞いて,『これは家のところにもあった』という情報が得られたらいいと考えているのです。展示物を通 して来館者と博物館がやりとりできる,会話できるような役割を担ってくださいとお願いしているのです。ある展示をただ一方的に解説するのだったら誰でもちょっと講習すれば済むのだろうと思いますが,それだけではなくて,ちゃんと交流できる人という意味で,委託業務の中で採用しているわけです。本来なら,正規職員の形でできたらいいと思うのですが。 」

■はしかけさん■

─― 琵琶湖博物館の研究では,市民がどのようにかかわっているかというところを,もう少し例を出してご説明いただけるとわかりやすいのですが。

中島
「私が関係しているものでいいですか?」

── ええ,そのほうが話しやすいでしょうから。

中島「例えば,ある共同研究で,滋賀県内の魚の分布調査をしました。ただ,魚捕りをしただけのではわからないので,時間を決めて,捕る方法を決めて,魚捕りが下手だったら少し講習して上手くなってからということで,100人ぐらいの人に参加してもらったのです。そうして調査を進めた結果 ,約3年間で滋賀県内の魚の分布状況がほぼわかってしまいました。こういう調査は,研究者だけではできない研究です。約2500か所も調べたのですから。分布を記入していくと滋賀県の地図が真っ赤になる,平野部が真っ赤になる,そういうのは博物館じゃないとなかなかできない研究だろうと思います。この研究では,捕った魚を全部,標本にして保存しています。ですから,例えば同定ミスをして間違っていたとしても,後でチェックできるのです。標本をきちっと保存して,整理して,登録することは,博物館の一番クラシックで,古典的な部分だと思います。」

── その共同研究については, 100人規模の方をどういう形で集められたのですか?

中島「うちの博物館の場合,ボランティアをどうしようかとずっと議論していて,この共同研究が動きだしたころに,たまたまボランティアの制度も動かそうという話になったのです。
 通常のボランティアというのは,例えば,展示解説をやる人は誰かいないですかという言い方をして募集しますね。災害が起こったときも一緒だと思うのですが,こういう仕事があるので誰か手伝ってもらえませんかという言い方ですね。しかし,うちの博物館では,そういう言い方はやめましょう,そういう考えのボランティアはやめましょう,と考えたのです。
 つまり,この博物館の考え方は,いわゆる“ボランティア”の人たちに,ここを利用して何かをしてもらえばいいのだという考え方です。自分たちがやりたいことを何かしてもらいたいのです。しかし,最初から何かやってくださいと言っても人は集まらないので,初めはメニューを用意することにして,この共同研究もメニューに使おうという話になりました。もう調査マニュアルはできていたので,その通 りにやってもらえばいい,講習会をやって魚採り名人になってもらえばいい,ということで呼びかけたのです。」

── ボランティアの方々が主体となって博物館を使ってもらおうという趣旨かと思いますが,そのボランティアの募集の話は開館前にされていたのですか?

中島「開館後です。ボランティアの方々に何かをやってもらいたいという案はありましたが,具体的にどうするかは開館までにできなかったのです。まだできていない部分もいっぱいあって,友の会もまだできていません。友の会は博物館が作るものではないという考えに立っています。だから,うちでは,言い方もボランティアとは言わず,“はしかけさん”と言っているのです。」

── “はしかけさん”ですか?

中島「はしかけ制度と言っています。“はしかけ”とは,湖北地方の方言で人と人をつなぐ役割の人のことです。例えば,結婚の仲人さんです。仲人さんは正式なものですけども,例えば『あそこにああいう人がいるけど,どうだね』なんていう口利きをするような,最初のそういう役割をする人が“はしかけさん”なのです。要するに,人と人をつなぎましょうということで,はしかけ制度を立ち上げました。その人たちがやりたいことを自己実現する場として,この博物館を利用してくださいという立場です。例えば,滋賀県内の魚の分布を調査した“はしかけさん”は,『うおの会』という会を作って現在も活動を続けています。  ただし,はしかけ制度で立ち上がった会は,個別の会の集まりはあっても“はしかけさん”全体の集まりはありませんから,横のつながりは薄いんです。また,“はしかけさん”がかかわるのは研究とは限らず,例えば,体験学習の講師などもあります。」

── そうすると,友の会の活動と似ているともいえますね。

中島「ある意味では似ている面もあります。ただ,何が何でもこの部分はボランティアにやってもらってというやり方をとっていないわけです。「はしかけさん」のほうから,こういうことをやりたいと考えてもらう立場ですので,例えば,展示解説のツアーをやりたいという人が出てきたら,展示交流員とダブるけれど,展示交流員とは違ったやり方で解説を考えてもらってもいいと思っています。」

── はしかけ制度とは別に,フィールドレポーターという方もいるようですね。

中島「はい。フィールドレポーターはどちらかというとデパートで,はしかけさんは専門店という言い方をしています。担当の学芸員が,例えば,タンポポの分布調査を調べようと思ったら,フィールドレポーターに呼び掛けて,家の周りのタンポポと咲いているタンポポを採った標本を送ってくださいとお願いします。百数十名の方がフィールドレポーターとして登録されていますので,その方々がデータを集めてくれることで,一斉調査ができるわけです。」


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