■NPO法人を立ち上げるまで■
── 本日は,よろしくお願いいたします。まず,先生が「企業教育研究会」というNPO法人を立ち上げるきっかけについてお話を伺いたいと思います。
藤川大祐先生 (以下,藤川)「そもそも私は,新しい授業をつくる研究をずっとしてきました。本来,教育学者のある部分は,授業開発を研究するべきだと思っているのですが,あまりそう思う人は多くないらしく,とくに教科を超えて研究する人がいないんですね。教科を超えるのは,どの教科もある程度のことは知らないといけないので大変ですけど,しかし社会の要請などもあるわけですから,新しいものをつくっていかなければならないだろうと思います。
2001年の4月から千葉大学の大学院にカリキュラム開発専攻という新しい専攻がつくられることになり,それに合わせて私は千葉大学の教員になりました。このカリキュラム開発専攻という名前の専攻はいくつかの大学にあるんですが,千葉大学の場合は,もともと『授業づくり専攻』にしたかったぐらいで,10時間程度の授業を開発し,それをもとに論文を書くという,おそらく授業をつくることを義務としている日本唯一の大学院の課程なんですね。」
── 大学院で授業づくりを行うんですね。
藤川「ええ。大学院の修士課程です。現職の先生が昼間に働いて夜に来られるような昼夜間の専攻として新しくつくられました。ちょうど『総合的な学習の時間』も始まろうとしていたときですから,『総合』もふくめて新しい授業をつくりたいという大学院生が入ってきて,これまで一緒にやってきました。
ここで,新しい授業をつくっていこうとすると,どうしても既存の教師のもっている財産だけではつくれないわけです。例えば,メディアのことであれば,テレビ局であるとか新聞社であるとか,メディア関係の方々のご協力をいただかなければつくれません。また,私のかかわっている『芸術家と子どもたち』という別
のNPO法人が,小学校にアーティストを派遣して授業をつくっていますが,これも外部のアーティストの力がないとできない授業です。このように,新しいことをやろうと思ったら,その世界に詳しい人たちのご協力をいただかなければならない,ところが,学校の先生は放っておくと何もやらないんですね。大学院に来る先生方も,自分たちでもっているものだけで授業をつくろうとするんです。そういった教師の考えと日々たたかっているという感じです。もっと開いて,発想を広くして,わからないことはわかる人に聞く,という指導をずっとしています。
こうした経緯があり,2002年の初めにある学部学生が卒業論文の指導教員になってほしいと訪ねてきました。彼は,自分が自動車を好きだということを生かした卒論が書けますかと聞いてきたので,私は,それならば環境教育をやってはどうかと彼に伝えました。環境教育では,自動車は悪玉
としてとらえられがちですが,人は自動車のある社会を選択し,おそらく今後も自動車はなくならないでしょう。だから,自動車会社が環境によい取り組みをしていかなければ,自動車による環境の悪化は減らせません。自動車がなければよいという単純な話ではなく,自動車会社は自動車会社の立場で努力が必要だと気づかせるような環境教育の授業をつくって卒論にしたらどうかと指導しました。彼は,持ち前のフットワークの軽さで,その春休みに,さまざまな自動車会社,自動車部品会社,石油会社などに電話をして,取材をさせてほしいと申し入れましたが,ことごとく断られたんですね。学生ですから。そして,結果
的には,ダイハツさんが協力してくだることになりました。彼は,関西にある工場までビデオカメラを持って取材に行き,新しい省エネルギー型の燃料電池車を開発されている方にお話を伺って,映像も撮ってきて,それを使って未来の自動車のあり方を子どもと考える授業を小学校でやりました。この授業には非常に手ごたえを感じました。子どもたちも,映像とはいえ,実際に企業で働いている方から直接メッセージをいただいたり,その仕事ぶりを見たりして,大変意欲をもちましたし,自動車会社で働いている人の立場から環境のことを考えるという,環境教育として新たな視点づくりもできたと思います。生活者や消費者の視点からの実践は多いんですが,企業側の努力が進まなければ環境問題はよくならないと私たちは思っていまして,そういう観点からの環境教育がつくれたという点でも成果
は非常に大きかったといえます。
このときは大変苦労しましたが,ほかの学生からもやりたいという話がありましたので,もっといろいろな企業さんにご協力いただき,新しい授業づくりを進めていくことにしました。ところが,動き始めはしたんですが,やはり学生が企業さんにお願いしても,就職活動と間違われたり,冷たくあしらわれたりすることが多くて苦労しました。この少し前にNPO法ができ,NPOというものが注目されていましたし,私も別
のNPO法人の理事をしていましたので,ある学生から私たちの取り組みをNPO法人化したいと言われたんです。たしかに,NPO法人であれば,社会的な責任を負うので学生の立場よりも責任をもってできるでしょうし,企業側にも学校側にも信用してもらいやすいでしょう。そこで,そのときにいたメンバーでNPO法人化に向けて,定款をつくったり総会を開いたりしました。また,現職の教員が県から派遣されて研修で来ていましたので,その方たちにも理事になってもらいました。必要な条件を満たして2003年の3月に千葉県からNPO法人の認証をいただきました。
NPO法人になると,非常に動きやすくなりました。NPO法人『企業教育研究会』の理事をしていて,千葉大学の学生でこういう活動をしていますと説明することで,門前払いがなくなったんです。現在,かなりの高い確率でご協力をいただけるようになってきました。」
── 2001年の4月に千葉大学へ来られ,2002年の春から夏に学部学生によるダイハツとの新しい授業づくりに取り組まれ,2003年の3月にはNPO法人化と,かなり早いペースで進みましたね。
藤川「早かったですね。当時,新しい研究室だということで,学生の人数はそんなに多くなかったのですが,動き出し特有の熱気みたいなものがありました。
これは,教育学部の大きな問題なんですが,学校しか知らないまま教師にはなりたくないという思いのある学生が多いですね。とくに,いまは『モンスター・ペアレンツ』などとも言われますが,子どもだけではなくて保護者や地域の方々ともかかわらなくてはいけません。そうすると,学校しか経験のないまま,ストレートに教師になってやっていけるのだろうかという不安が学生たちには生まれます。一度は企業に勤めたい,もっと企業のことを知ってから教師になりたいという学生もいますが,企業に腰掛で働くというのも失礼な話です。だとすれば,学生時代にもっと企業とかかわって,もちろん学校現場ともかかわって,安心して教師になればよいじゃないかと学生たちに言っています。ですから,かなり学生たちのニーズがあったんですね。」
── 学生側のニーズですか。
藤川「当時は,こちら側がお願いをして,取材協力をしていただくというのが中心でした。企業側からも学校側からもほとんど声はなく,学生の勉強だったんですね。」
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