■そもそもの始まり■
── 先生,よろしくお願いします。
濱田隆士先生 (以下,濱田)「じつは,昨日の大雨で,高山の博物館の帰りに電車の中で4時間閉じ込められて,夜中になってしまいました。今日このインタビューがあることがわかっていましたので,こりゃあいかんと思って,朝一番の特急に乗ってやってきました。6時半に起きて。(笑)」
── そうなんですか。いろいろ先生はお忙しいですね。
濱田「気分転換になっていいですよ。(笑)」
── さきほど館内を一周させてもらったんですが,先生はこちらの設立のときから関わっていらっしゃるんですか?
濱田「関わりとしては,準備室ができるより以前,恐竜が出始めた頃からです。15年ぐらい前になりますね。この博物館の前身は,福井市内にあって,当時は歴史と自然とが一緒になった博物館でした。そこで,東先生という第三紀の火山岩の研究をされていた方が,突然,恐竜をやることになったんです。この周辺は手取層群(てとりそうぐん)という中生代の地層があって,そこから貝とか植物とかの化石が出るということはわかっていたんですよ,石川県とか岐阜県とかでね。ところが,福井県でワニの全身骨格が見つかったんです。『中生代のワニが出るんだったら,恐竜だって出るよ』と言っていたら,ある中学校のお嬢さんが家族旅行で手取ダムに行って,記念に落ちていた黒光りする石ころを拾って持って帰ったそうです。そして,数年後に従弟の方が夏休みの宿題に使うからと石のことを思い出して取り出したら,落として割ってしまい,中から歯のようなものが出てきたんです。これを夏休みの標本鑑定会へ持って行っても,サメの歯だとか何だとか言ってらちが明かないので,博物館に行って聞いてみようということになり,東先生のところに持って行ったというわけです。東先生はそれを見て絶句したと言っていました。カガリュウの歯です。そりゃあ絶句しますよね,初めて恐竜が出たんですから。」
── カガリュウの歯の化石は,新しい教科書にも写真を載せているんですが,(教科書を見せて)これですか?
濱田「これは2番目の標本ですね。その化石は,福井じゃなくて石川で見つかったんですが,石川には県立博物館がないので,じゃあ福井で調査してくれという話になったのがそもそもの始まりということになっていますね。
もう少し前から話すと,じつは,僕は福井県には関連が深くてね,大野市というのが近くにあるでしょ。そこでね,うろうろしていたんです。当時は恐竜が出るなんて知らないわけですよ,中生代だから,シジミの化石とかいろいろあって,コチコチやって楽しんでたんです。ほんとにあとでびっくりしたけれど,あるとき,中学校の先生が山道で自転車に乗って坂をのぼっていて,明かりが崖の上のほうを照らしたそうです。すると,崖の表面
に恐竜が踏んだ足跡の化石があったんです。なんと,そこは僕が掘っていたあたりだったんです。
」
── 先生が大野市を掘っていたのは,どのぐらい前なんですか?
濱田「僕が大学院のころですね。」
── じゃあ,かなり前なんですね。
濱田「もうそれは大変古い話でね。(笑)というわけで,ここの博物館の館長になったのも,そんな縁があるんです。その前は,生命の星・地球博物館の立ち上げに関わっていまして,いちど放送大学にもどりました。東京大学を辞めてから放送大学に行っていましたから。4月から放送大学にもどって,7月にここに来ました。
そういういきさつがありまして,ワニが見つかったところで恐竜を掘ってみようということになり,調査の初期のころから歯の化石とかいろいろ出てきたんです。それで,前福井県知事の栗田さんが,『面
白い,是非やりなさい』ということで,知事さんの肝いりでこの博物館はできたようなものですね。」
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