■恐竜発掘の様子■
── 実際に行われてきた恐竜発掘調査の様子について少しお教えいただけますか?
濱田隆士先生
(以下,濱田)「深い谷を切り込んで調査しました。学生さんたちに安いバイトで来てもらってね,しかも暑い中です。昼休みのときには,谷川で冷やしたスイカにかぶりついてね,美味しかったですよ。僕も度々行きましたし,僕の弟子も行きました。バイトの中には,ヒサクニヒコさんの息子さんもいて,この人がまた食べるんですね,体格がいいから。あるとき,彼よりももっとたくさんのそばを僕が食べたら,みんなは『えーっ!』とびっくりしたという思い出もあります。僕はその前にビールを飲んでいたから,本当はもっと入ったんですよ。(笑)まあ,そういった仲のよさがこの博物館を支えているんです。
ここの研究者は,大学を出て,大学院を終えて,ドクターを取ってから来られる方が多いんですが,ここで育った人たちも同じように実力をもっています。鳥取や広島,東京,日本全国から集まっていますから,すごく楽しい集団ですね。バリアフリー型の非常に自由闊達なことができる場がもてて,しかも標本がほとんど散逸しないで2000個以上もあるというのは,すごいことです。たくさん集まってくると,口の形がちがうとか,改訂されるんですね。あちこちから見つかったものをつなげて,だんだん出来上がってくるのが楽しいですよ。結局,理科の現地実験をやっている,恐竜を徹底して調べるということを,大勢でやったわけです。
その中からすごい人も育っているんですよ。当時,アルバイトで掘っていた小林快次くんは,アメリカに行って帰ってきて,ドクターを取ったばかりです。それと,広島にいた藤田くんは,富山の発掘で大成果
をあげました。新聞記事にも出たけれど,鎧竜(よろいりゅう)の仲間の5本指の化石を見つけて,それを僕が見たときは『わあ,これはすごい!』と思って絶句しました。彼はこの発掘調査でも実力があった人で,ここの育ちとして富山県の恐竜発掘をしています。富山県には自然系の県立博物館がなく,我々が恐竜発掘の委員になっているんです。
」
── 偶然に拾った石の中から歯の化石が出てきたのがきっかけで,そのあと調査すると化石がわんさか出てくるようになったんですね。その前とあとでは,恐竜化石に対する日本のとらえ方って全然ちがうんでしょうね。
濱田「そうですね。カガリュウの歯の化石がきっかけとなって,47都道府県の中の13か14の県で恐竜化石が次々と出てきたんですよ。それは,日が昇る勢いでした。
手取層群という中生代の地層は,富山県,石川県,福井県,岐阜県にまたがっていて,この4県で揃って恐竜が出てきます。この中心に白山という山があるんですが,白山は火山でしょ,そのまわりの地層が立ってるんです。ほんとは寝てる地層より立ってる地層のほうが掘りやすい,平らなところはいくらやっても駄
目です。 」
── お金ばっかりかかっちゃう?(笑)
濱田「そういうことです。(笑)手前を掘ったら,次は奥へ掘り進めないといけない。上の層をどかさないといけませんからね。いま2期までが終わって3期にかかっているんですが,これが大きな崖になっちゃったんです。もうそれ以上掘っても仕方ないというところまできちゃって,もう少し奥のほうまで掘ったら大工事になっちゃって,(笑)2年ぐらいかかっているんです。でも,出ますからね,恐竜が。」
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