■天文と決めざるを得なかった■
── 先生は,いつ頃から天文に興味をもたれるようになったんですか?
古在由秀先生
(以下,古在)「ぼくが小学生から中学生の頃,望遠鏡を持っている人なんてほぼいなかった。じつは,ぼくは,天文少年だったことも,もっと言えば科学少年だったこともない人なんですよ。(笑)だから,誰かに小学生が天動説なんて言われると,ぼくは反発するほうなんです。(笑)
」
── すると,文学少年だったんですか?
古在「要するに,ぼんやりしていたんですよ。(笑)考えてみれば,中学3年ぐらいまでは1日10時間ぐらい寝なきゃいけない人だったんですよ。いまの子どもみたいに,『早く寝なさい』なんて言われるまでもなしに寝てしまっていたから。別
に,眠るために寝ているんじゃなくて,眠くなるから寝ていた。だから,あまり学校の勉強なんか,する暇がなかった。(笑)ぼくが中学校に入ったときに,先生がみんなに1日何時間寝るかと聞いて,7時間から8時間の人がけっこう多かったんだけど,10時間なんて人はほとんどいなかった。」
── しかし,天文の研究者が夜に10時間も寝ていると観測ができないですね。(笑)
古在「ぼくは,東京天文台に入って観測したんだけど,その頃は若かったから,寝だめっていうのができましたから。」
── 中学生の頃は,比較的おっとりして睡眠時間もしっかりとっていたんですね。高校生の頃はどのような感じだったんですか?
古在「ぼくが高等学校に入ったのが昭和20年で,そのときは理科と文科に分かれていて,文科の定員が極端に少なかったんです。文科は兵隊に行かなければならなかったから。だから,理科に入るのが当たり前でした。戦争が終わって理科から文科に変わることができて,変わった人もいたんだけれど,ぼくは変わらなかったんです。」
── 高等学校で理科を専攻するなかで,しだいに天文への興味がわいてきたということですか?
古在「当時,大学は学部と学科を指定して受けなかったんです。実際には,そのときに天文と決めざるを得なかったんです。(笑)」
── そこで決めたことが,先生の人生を決定づけてしまったんですね。
古在「当時は,天文に行っても職がないってさんざん言われて,天文に行ったからといって手文学者になれるとは限らなかったんだけれど,幸いに職を得ました。」
── すると,同期で天文を専攻した方でも,天文の仕事に就くことはあまりなかったんですか?
古在「天文学科は定員5名ですが,3人までが天文で,あとの2人は天文以外ですね。ほかに天文以外の友人の話をすると,ぼくは小柴君と同級生だったんですよ,高等学校のときから。彼は大学では物理だったけれど,いまはニュートリノ天文学といわれていますね。彼に日本天文学会に入ったらと勧めたんで,ちゃんと日本天文学会からもノーベル賞をもらう人が出たわけです。」
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