ホーム > 教育研究所 > 教室の風 > №1034「東京都立目黒高等学校創立百周年を迎えて~縁あって,亡き母の母校に~」

教育研究所

№1034「東京都立目黒高等学校創立百周年を迎えて~縁あって,亡き母の母校に~」

 先日,平成13年4月から4年間,勤務していた東京都立目黒高等学校の創立百周年の記念式典と祝賀会の案内状を受け取った。

 私は,子どものころから「目黒」は好きだった。もう30年前に他界したが,母の実家が目黒区民センターの近くにあり,お正月やお盆の時に,母に連れられて訪れ,叔父,叔母から本やおもちゃを買ってもらうことが,子ども心の楽しみと喜びの1つでもあった。

 平成13年3月。私は,東京都教育委員会から東京都立目黒高等学校への校長としての異動内示を受けた。4月に着任して間もなく,当時の同窓会の吉井会長と大内副会長が来校された時に,亡き母の実家が「目黒」にあり,『実科女学校』を卒業したことを話したところ,吉井会長から『実科女学校』は,目黒高校の前身であることを告げられた。

 早速,沿革史をみると,「本校は,大正8年に東京府荏原郡目黒村立目黒実科女学校として設立され,昭和18年,東京都目黒高等女学校に,昭和25年に『東京都立目黒高等学校』と改称され,今日に至っている。」と記載されている。

 吉井会長から差し出された同窓会名簿をみると,『高女4期生の卒業生』として母の名前が旧姓で記されていた。

 この時の私の驚きと感激は,言葉に表せないほどであり,縁あって母の母校に勤務できる嬉しさと同時に責任の重さを感じ,しっかりと頑張らなければと心に誓い,学校運営に当たっていたことが,心に強く残っている。

 学校周辺の人々から「私は,目黒高校を卒業したのですよ。」と言われたり,同窓会の集まりで出席者の方々と話したりする度に,心の中で「母も目高の卒業生の一人です。」と言い聞かせながら,勤務していたことを思い出す。

 校長として,母の母校でもある「目高」を更に良い学校にと,頑張ったつもりでいたが,心優しかった反面厳しかった母はきっと,〈もっと素晴らしい学校づくりを,もっと誇りをもてる学校づくりを〉と叱咤激励していたと思う。

 亡き母の母校で,校長として勤務した目黒高校が創立百周年を迎え,改めて感慨無量の気持ちでいっぱいである。

 現在,目黒高校は,校長先生はじめ先生方が,『都立目黒で未来を創ろう』をスローガンに,「自主・自律」の精神を育み,生徒一人ひとりの可能性を伸ばし自己実現を支援する学校として,頑張っている。

 これからも,卒業生の弟,妹,そして子どもや孫が入学を希望し,素晴らしい高校生活を送ることができる高等学校であると確信している。(Y.H)

(2019年9月3日)