教育研究所
№1039「見えるから書ける 書けるから見えてくる」
大学を卒業するまで,何度も日記に挑戦したが続いたためしがなかった。
今からちょうど40年前の4月1日,私は新任教員として都内のある中学校に着任した。その日,たまたま登校していた全く初対面のKくんと30分ほど話をする機会があった。教員初日,帰りの電車の心地よい疲れと興奮がさめやらないなか,Kくんとのことがフッと思い浮かんだ。その時,彼とのやり取りを忘れてしまってはもったいない,忘れたくない。「そうだ!今日から毎日の出来事をちゃんと記録しよう!」と思った。これが,日々の生活を記録し日記をつけようと思ったきっかけである。そして,今日まで続いている。そして,今では幸か不幸か,この日課を熟さないことには一日が終わらなくなってしまっている。
現職時代は,この記録と日記のためにB5版の大学ノート(100枚)のものを使っていた。一日見開き2ページ,左側のページは記録として使い,右側のページは日記として使っていた。
教諭時代から教育委員会勤務時代までの29年間一学期1冊なので1年で3冊,29年間で計87冊のノートが残っている。(管理職になってからはシステム手帳を使った)
ページの使い方は少しずつ変化しているが,記録の部分には,授業(進度,子供の様子,今後に向けての改善点,感想等),生徒指導(事件や事故の経緯,生徒等からの聞き取り内容,保護者とのやり取り),会議の記録等々,その日にあったことなどをメモする。また,メモは全てこのノートにしかしないようにした。
日記の部分は,毎日必ずページの1行目から最後の4行目まで,文章で埋めるよう自分に課した。単なる愚痴や事実の羅列にならないよう自分の思いや考えを必ず加えるように心がけた。また,是非残しておきたい資料や生徒に関するメモ,保護者からの手紙などは,手にした日のページに全て貼り込んだ。
教員時代の29年間,いつ何があったのか,私自身が何をして,何を考えたのか,このノートを見ればわかるようになっている。
校長時代だった。ある生徒が卒業して3年経ったある日,保護者から我が子が中学校3年生の時の生徒同士のトラブルについて照会があった。この時,この記録,日記が威力を発揮した。教職員,生徒,保護者等との対応も記録されていたので,それを参考に状況を伝え理解していただいた。
文章を書く習慣がなかった私にとって,書くことはしばらくの間,ただただ苦痛でしかなかった。書くことが思い浮かばない。飲んで帰り,そのまま寝てしまう日もある(その時は翌朝30分早く起きて書いた)。それでもとにかく毎日書き続けた。
苦行の日々が続いた後,ある時期を過ぎると,あまり時間をかけずに書けるようになってきた。今日は何を記録すればよいだろうという気持ちをもちながら日々生活するようになったからである。つまり「見えるから書ける」ようになった。また,文章にまとめていると自分の頭の中も整理される。つまり「書けるから見えてくる」のである。
何かあった時に,自分の記録や日記を読み返すことはあった。しかし,じっくりと腰を据えて読み返すことはなかった。40年間,書き溜めたものをじっくりと読み返してみようと思う。これまで気がつかなかった「自分が見えてくる」かもしれない。 (S.E)
(2020年2月18日)