教育研究所
№1042「自ら学ぶことで学んだこと」
校長として着任した学校に通級制の特別支援学級があった。そして,この学級の卒業式に,その生徒の日頃の様子や頑張ってきたことを漢字一字(いつも優しく友達と接した生徒に「優」)で表し,校長が色紙に毛筆で書いて贈っていた。
私は小学校の習字の授業以来,筆を使ったことがなかった。恐る恐る筆を握り,色紙に書いてみた。どう見てもうまくない,美しくない。こんなものをもらっても生徒は嬉しくないし,すぐに捨ててしまうだろうと思った。
そこで一念発起し,都内にある「書道大学」(学校教育法第一条でいう「大学」ではない)というところに通うことにした。2年課程で月1回日曜日,午前中は講義,午後は実技を学ぶ。
午前の講義は,漢字の成り立ちや歴史,中国の歴史なども学び,大学生に戻ったような気持ちになりとても楽しかった。ところが午後の実技が毎回嫌で嫌でたまらなかった。課題が出て,しばらくすると先生がグループごとに受講生を集め,みんなの前でコメントしながら,一人一人の書いた作品を添削してくれる。あとでわかったことだが,この大学には書道教室を開いていたり,長く書道を続けていたり,大学の書道学科で学んでいる人たちだったりという人が多い。その中に全くの初心者の私が加わっている。あまりの実力の違いに指導してくださる先生のアドバイスなど全く頭に入らず,ただただ早く自分の添削が終わるのを願っていた。
こんな時,私はきっと,生徒には「人との比較ではない。自分と向き合うことが大切だ!」と声をかけるのだろう。でも,とにかく下手な自分が恥ずかしかった。
また,毎回たくさんの宿題がでる。自宅で仕事もしなければならない。夜の会議もある。飲み会もある。疲れている時もある。ただ,落ちこぼれでも,せめて宿題くらいはちゃんとやっていこうと思い,夜,机に向かう。眠くて筆を持ちながら居眠りをしていたこともある。「やめてしまおうか」と思ったのも一度や二度ではなかった。
こんな時,私はきっと,生徒には「つらくても頑張れ!!自分との闘いだ!」と声をかけるのだろう。とにかくがんばろうと,自分を励ましていた。でも正直,きつかった。
さらには,2年目の終わりに筆記と実技の「卒業試験」があった。筆記は覚えれば何とかなると思い単語カードを作り通勤時に必死で勉強し合格した。ところが実技は,私のレベルが低すぎて,追試も2度受けたが結局「不合格」。留年か退学を迫られた。ここまで来ると「屈辱」以外の何物でもなかった。
こんな時,きっと私は生徒には「せっかくここまで頑張ったのだから,もう少しがんばってみろ!」というのだろう。それを想い,結局留年を選択した。ここまで来ると意地だった。
翌年,生徒たちの入試の頃,再度「卒業試験」を受け,「合格」の通知を受けた。生徒たちに「合格,おめでとう!よくがんばったな!」と声をかけながら,自分自身にも同じ言葉をかけて自己満足に浸っていた。
一年が過ぎて,また色紙を書く時期になった。昨年同様,担当の先生に色紙を渡した。すると「校長先生,今年は誰かに書いてもらったのですか?」と言われた。その時,いつも生徒に言っている「努力は裏切らない!」という言葉が頭に浮かんだ。
自ら学ぶことで,辛い思いもしたが生徒たちのさまざまな想いを学ぶことができた。(S.E)
(2020年4月27日)