教育研究所
№1052「電車でのこと」
先日,電車に乗っていた時のことである。
シートはほぼ乗客で埋まっており,数人立っている人がいるという状態だった。
ある駅から,私の車両に母親と小学校低学年くらいと思われる男の子が乗り込んできた。母親は持っていた小型のクーラーボックスのようなものを扉とシートとの間の50cmほどの空間に置き,そこに我が子を座らせた。男の子はシートの手すりに寄りかかり,足を扉の方に向け投げ出して座っていた。
その後,駅に停車してもしばらくの間は反対側の扉が開閉していたが,車内はだんだん人が増えてきていた。
そのうち男の子が座っている側にホームがある駅に到着した。電車が減速し扉が開くという時になって,母親が男の子に声をかけた。
「踏まれると痛いから足を引っ込めなさい!!」
瞬間,私は「エッ!!」と我が耳を疑った。
「踏まれると痛いから」という一言に強い違和感を覚えたからだ。足を引っ込めなければならないのは「踏まれると痛い」からではなく「乗り降りする人の邪魔になる」からではないか。
そもそも,乗り込んできた時に扉とシートとの間にクーラーボックスを置くことは考えても,そこに子どもを座らせることは私には考えもつかなかった。
ここまで書いてきて,フッと不安になった。もしかしたら,普段はしないが子どもの具合が悪かったのでやむなくやったのかもしれないではないか。また,そもそも私が違和感を覚えること自体,考え方の相違であり全く問題ではないかという声が聞こえてくるような気がしたからである。
この文章を読んでくださっている皆さんは,この親子の事例をどのように感じるだろうか。
この事例の子どもは親になった時,我が子に「人の迷惑になるから」ではなく「自分が嫌な思いをするから,不利を被るから」という視点でマナーやルールを教えるような気がする。確かに外から見えるしぐさや行動は同じかもしれない。しかし大切なのは,その「心」である。
価値観が多様化しているので,ある事象についていろいろな見方や考え方があるのは理解するし,決めつけるのは決してよいことではない。しかし,たとえどのような時代になったとしても,他者への思いやりや配慮の心は失ってはならない。それが社会の中で生きていく上での基本であると思う。
今回,電車の中で偶然,目の当たりにした出来事から感じたことを書いてみた。(S.E)
(2021年8月11日)