教育研究所
№1056「窮すれば通ず」
今年度になり、学校訪問で見る授業では、1人1台端末等のICTを積極的に活用しているものが多くなった。子供たちも、各自の端末や学習支援ソフトをかなり使いこなせるようになってきたようである。こうした進展は、2年前の臨時休業の際に、多くの先生方が端末の不足やその活用法等に悩み、指導に行き詰まりを感じていたことを考えると、正に「窮すれば通ず」という状況の変化である。
先生方に話を伺うと、臨時休業時の遠隔授業も大変だったが、GIGAスクール構想の1人1台端末の導入は今も大変で、デジタル教材の準備や情報モラル・情報リテラシーの指導等の工夫が必要とのことであった。ただ、子供たちは、端末や学習支援ソフト等の操作に習熟するのが驚くほど早く、協働学習などでは、子供どうしで使い方を教え合いながら、調べ学習や考えの共有を行っており、こうした活動は以前よりも活発になったということである。
活動の活性化は、最近よく指摘される「思考やその過程の可視化による協働的な学びの充実」が関係しているように思われる。一方、操作の習熟の早さについては、子供たちの適応力の高さに加え、端末や学習支援ソフト自体が直感的に使えるように作られていることも関係しているようである。
この「直感的に使える」ということについて、システムエンジニア(SE)の方に伺ったところ、実は、システムのデザイン面で、利用者が意図した操作を間違えず速やかに進められるようさまざまな工夫がなされているとのことであった。例えば、利用ログを分析してアクセスの多い順にボタンを配置したり、未入力だと次画面に遷移しないよう制御したりといったことである。
こうした改善はICTの各分野で行われており、分厚い説明書がなくても、行き詰まることなく操作を進められるようになっている。このように操作面での障壁が低くなったことは、子供や教師の負担の軽減だけでなく、最適なツールを個別に選択することにも役立つもので、有益な支援要素となっている。
我が国においては、1人1台端末がコロナ禍の行き詰まりの中で、急激な変化として導入された。しかし、この新しい道筋は、情報化という世界的変革に通じるものである。そして、ICT活用は、子供たちにとって恒久的な道具(ツール)として極めて重要なものになっているということである。
ちなみに、冒頭の「窮すれば通ず」は、中国古典の『易』(繋辞下伝)が原典である。元々は、「窮まれば変ず。変ずれば通ず。通ずれば久し。(行き詰まれば変わるもの。変われば新しく道が通じる。道が通じれば、行き詰まらないから、永久に続く。)」(本田済『易』朝日新聞社 新訂中国古典選第1巻1966)といった内容である。この紀元前8世紀の書物の内容が、21世紀の現在の状況と符合しているというのも興味深いことである。(K.M)
(2022年5月20日)