教育研究所
No.379 「毎日が一年生」(2014年7月22日)
「遅寝,遅起き,朝ごはん抜き」で,料理番組を見ておりました。
ベテランのワサビ作りの古老と,昨年から挑戦している若者の会話に,感動いたしました。
・アナウンサー「(若者に)ワサビ作りで,楽しいことはどんなことですか?」
・若者「世話をしているワサビが,どんどん育って行くのを見るのがとても楽しいです」
・アナウンサー「何か困ったことはありますか?」
・若者「いやー,ともかく,ワサビ作りは難しいですよ」
・古老「ワサビ作りは,毎年が1年生ですよ(笑)」
なんと ,含蓄のある会話でしょうか。私は,教育にかかわって,50年になろうとしています。「毎年が1年生」という古老のさりげない一言に,大きなショックを受けました。
新人→中堅→ベテラン→……という驕りが,いつの間にか,忍び込んで,見るべきことが見えなくなっていたのではないか,もう一歩,もう一歩と未来に向かって創造し続けることを停止してしまっていたのではないかと大きく,大きく,反省いたしました。
教師(教育)にも「毎年が1年生」いや「毎日が1年生」ということで,小さなpdca,大きなPDCAが必要だと,つくづく思いました。
余談になりますが,ある会で,「早寝,早起き,朝ごはん」のような低次元のことに学校がとどまっていたらいかがなものかという話をしたところ,多くの参加者から「重要なことだと思って,一所懸命やっているのに,低次元とは何事か!」と,54321の評定で見事に「2」と評価されました。
学校の本当の仕事は,その先にある「質の高い学力を定着させる,豊かな心を養う,健康と体力をつくる」ことにあると言いたかったのですが,通じなかったようです。
言わんとしていることが,相手に正確に伝わらないということは,教師としては不十分であると思いました。
「教師は,毎年(毎日)が1年生」の気持ちと行動で,精進しなければならないと自覚いたしました。
ワサビ作りの古老の教えに感謝・合掌の朝でした。(H・K)