教育研究所
No.374 「ラズベリーパイとスクラッチ(その1)<全3回>」(2014年6月24日)
ここ40年ほどの間に,教師のための道具の変化は著しい。
特に教材作成や印刷の機器や視聴覚機器の導入において,科学の進展や社会の変化に応じて,教師は時に積極的に,時に消極的に対処してきた。
印刷に関して,私が就職した頃にはガリ版・鉄筆・謄写版が全盛だった。
筆圧・字形などの筆耕や刷りの技術を先輩から教わり,まさにオンザジョブトレーニング(OJT)で習得したものだ。
その後,輪転機が登場し,ボールペン原紙や,FAX製版機で製版するFAX原紙,光の熱で製版する感熱原紙,サーマルヘッドで製版するデジタル原紙など,めまぐるしく発展し,便利になった。
視聴覚機器も,スライド(さすがに幻灯機とは,そのころはもう言わなかった),OHPや実物投影機などが,はじめは特別教室に固定配置されて視聴覚室と命名され,やがて教室に台車等で運べるようになり,複数台導入となっていく。
16ミリ映写機の操作研修が毎年教育委員会主催で開催され,操作免許を受けないと視聴覚ライブラリーのフィルムが借りられなかった。
音声や画像の活用は,オープンリールの録音機からラジカセになり,ビデオも同様の進化を遂げて定着した。
さらに,フロッピーカメラ,デジカメ等々,その変化はめまぐるしい。
勤務校は,結構進んだ学校で,子供の3~4択の反応を一括把握できる「アナライザー室」なる部屋も合ったが,研究委託が終わっていたためか,教室の稼働率はほとんどゼロに近かかったように記憶している。
コンピューターがパーソナル化してアメリカあたりで一気に広がる気配のあった頃,先輩と論争したことがある。
「いずれ,コンピューターが教員の普通の道具になる」と予測した若者(当時の私)の主張は,そうした実態を経験上知っていたためか,先輩からは,「いろいろな機器が教育に導入されても指導は変わらない,ほこりをかぶるだけだ」と一蹴された。
今は昔の感がある。
(この項続く)(H・I)<(その2)は2014年6月27日配信予定>