教育研究所
No.370 「再び!『大いなる西部』」(2014年4月22日)
50数年ぶりに「大いなる西部」を見た。
見たといっても,映画館ではなく,衛星放送BSプレミアルシネマの放送をテレビで見た。
放送予告を見て,これだけは絶対に見ようと予定しておいたものである。
初めて見たのは,高校一年生の時だった。
そして父と一緒だったことを鮮明に覚えている。
話の内容はすっかり忘れてしまっていたが,とにかくすばらしい映画だった。
いつかもう一度見たいと思っていた。
かといって,DVDを借りてまで見てはいなかった。
与えられた機会がやってきたからこそ,見る機会だといううれしい感じであった。
中学生や高校生のころの映画というと,父と行くときは洋画,母と行くときは東映の時代劇,一人で行くときは東宝の青春映画と決まっていた。
友だちといった映画は,「5つの銅貨」だけ覚えている。
今考えても,ありがたい思い出として残っていることがある。
それは,中学生の時,学校から映画に連れて行ってもらったことだ。
月に一度ほど,自由参加の映画会があった。
日曜日,決められた時間に,映画館の前に集合して,映画を見て,終わると映画館の前で解散というものだった。
二人ほどの先生が引率して下さった。
感想を求められるわけでなく,「楽しく見る」という主旨で行われていたのだと思う。
おかげで,名画にふれることができた。
50数年ぶりに見た「大いなる西部」のことである。
物語は,19世紀後半のテキサス州の広い荒野が舞台である。
そこでは,水源地を巡って,地元の二つの勢力が争っている。
水源地は荒野で生きるには,死活問題である。
水源地のある土地は,父から受け継いだ女教師が所有している。
ジーン・シモンズが演じる彼女は,どちらの勢力にも,それを売ろうとはしないで,必死で守っている。
どちらか一方の所有になれば争いが起こると考えたからだ。
そこへ,東部からグレゴリーペックが演じる一人の紳士がやってくる。
彼は,一方の勢力の娘の婚約者としてやってくるが,その勢力の姿勢に違和感を感じていく。
そして,中立の立場で,誰にでも水を与えることを条件に,土地を売ってもらい,牧場を作っていく。
父とこの映画を見た翌日,学校でとても嫌なことがあった。
いつもの元気も出なくて,落ち込んでいた。
そんな私を見て,古文の女性の先生が,「『大いなる西部』を見たら,少々のことでは,くよくよできないでしょう」と励まして下さった。
そう言われると,せっかく「大いなる西部」を見たのに,くよくよしているのが,実にもったいない気がしたことを覚えている。
とにかく,元気が出る映画である。
大自然を分かち合うことが,とても大きな気持ちにしてくれる。(K・T)