教育研究所
No.358 「出会うこと」ということ(4)(2013年10月09日)
近所の方とのあたたかいおつきあいは,本当にありがたい。
我が家のお向かいに住んでいる同世代のご夫婦とは,20年来のおつきあいである。
お互いの家が,道をはさんで,ちょうど向き合っているので,お互いのことがよく分かる。
朝,カーテンが開いていると,「今日もさわやかにお目覚めをされたな」と思い,また,朝早く,門が開く音で散歩だと分かるほどだ。
そして,犬のなき声がして,犬も一緒の散歩の時には,私も,愛猫をつれて挨拶に出る。
犬と猫を通して交流が始まる。
もちろん,時間に余裕があり,朝の準備の時間がうまくあった時だけであるが。犬と猫もだんだんなじんできて,始めのころに出していた猫パンチもなく,クンクンと臭いをかぎ合って,仲良くしている。
「犬が,暑さのせいかご飯を食べないので,病院に連れて行きました」
「きのう,猫のシャンプーをしましたよ」
「桜草が増えましたから,一鉢いかがですか」
「ミョウガが出ましたが,お宅はいかがですか」
「ゆずジャムを作りました。どうぞ」
「近くの川で,カモの子が生まれましたよ」
「孫たちが遊びに来て,賑やかでした」
「台風の被害はありませんでしたか」
などとのどかな会話である。
そんな会話の一つ一つで,心が和む。
特に,家族に心配事があったときなどの優しい会話は,忘れがたい。
多くのことは聞かない。
ただ親身になって声かけをして下さることが,私たち家族を落ち着いた気持ちにさせる。
2,3日,お会いしないと「お元気かな」と気になる。
庭の水やりの姿が見えると,ほっと安心した気持ちにもなる。
私が現職教師のころ,特に通勤時間が長くかかる学校に通っていたときには,日の出のころに家を出て,日が暮れるころ家に帰ることが多かった。
ご近所とのつながりも,限られた時間になっていた。
休日など限られた時間とはいえ,笑顔でのあいさつやご近所情報が嬉しかった。
安心して,出かけられた。
縁あってお向かい同士になり20年。
齢を重ね,お互いに生活も大きく変わった。
わたしも体力もそれなり衰えたが自由な時間をこれまでより持てるようになってきた今こそ,そのつながりをありがたく感じている。
仕事でのつながりのある人や学生時代をともに過ごした人とも,異なった存在の人が身近にあって信頼でき,よいおつきあいができるのは本当に幸せなことであると思っている。(K・T)