教育研究所
No.352宮澤賢治の通信簿(2013年06月24日)
宮沢賢治の「尋常科男児学籍簿(現在の児童指導要録)」が,岩手県花巻市の母校(当時の花城尋常高等学校)の校長室の金庫から4月に見つかり,学籍簿が写真で公表されています。(読売新聞25年5月18日付け)
それを見ると,5・6学年の成績(評定)は,
修身(現在の道徳):甲・甲
国語:甲・甲
算術:甲・甲
日本歴史:甲・甲
地理:甲・甲
理科:甲・甲
図画(現在の図画工作):甲・甲
唱歌(現在の音楽):甲・甲
体操(現在の体育):甲・甲
操行(行儀・態度,現在の行動の記録):甲・甲
で,大変優秀であったことが分かります。
当時は,例えば,20点,15点,10点,5点で採点し,それに甲乙丙丁(現在の評定321に当たる)の評価を当てていました。
全てが甲であったということは,今流に言えば「オール5(現在では,オール3と言う言い方が正しいが,これだと「普通」という感じになるので敢えて中学校にならいました)」ということになります。
しばらく後(同5月21日)の「編集手帳」には,本田宗一郎(ホンダの創業者)の通知表の話が紹介されていました。
親に見せられないくらいひどい成績だったそうです。
親の押印が必要だったので,宗一郎は,ハンコを自作してその場をしのいだのだそうです・・・。
ニュートンも学校になじめなかったらしい,エジソンも学校の成績はたいしたことがなかったらしいようです。
数学者の秋山仁先生も,大学院へ行きたいといったら指導教授に「キミ,大学院は病院じゃないんだよ」と諭されたそうです。
(この逸話は,平成10年の学習指導要領の作成時,ある会の打ち合わせで,大学の研究室を訪ねた際に,直接ご本人から伺いました)
だから,ニュートンやエジソンの伝記を読んで普通の子どもも「もしかしたら,わたしも」と希望をつなぎがんばろうとします。
秋山先生もそうだったのか(秋山先生のことだから天才隠しをしているかもしれませんが・・・)と,凡才青年が,夢に向かって意欲が高まります。
その流れからいくと,宮沢賢治の成績が,国語が最低の「丁」だったら,もっと,ニュースになったかもしれません。
でも,「ほら,学校は!」ということになってしまうので,これでいいのかもしれません。
「わたしも・・・」と,張り合おうとする妻に,恐妻家の私ですが,つい,「今でしょ!」と口を滑らせてしまいました。
今がよければ,小学校時代から「優秀だった」とか,「あんなに勉強ができない子はいなかった」と楽しい話題になるのです。(H・K)