教育研究所
No.349脚下照顧(2013年05月08日)
学校を訪問したとき,玄関や受付窓口で対応する教職員の方々の心遣いや生徒たちが元気な声で挨拶する姿に接した第一印象で,その学校の教育方針が高く評価できると感じています。
先日,東京都内の中学校を訪れたとき,下駄箱とそこに整えられていたスリッパがきれいに磨かれていたことに驚き,心を打たれました。
決して新しい下駄箱でもスリッパではなかったのですが,丁寧に拭かれ,光輝いていました。
そのスリッパを履いたとき,言葉に言い表すことはできないほどの気持ちの清々しさを感じました。
職員室に向かう通りすがりに目にした,生徒たちの下駄箱や靴もきちんと綺麗に揃えられており感動の連続でした。
先生たちの話では,生徒たちは修学旅行や合宿でも,ホテルや旅館の玄関,部屋や浴場の入り口でもスリッパをきちんと揃えて,ホテルや旅館の人から褒められることが多いとのことでした。
この話を伺い,この中学校では,「生徒同士の喧嘩やトラブルはほとんどなく,落ち着いた学校生活の姿」があるということに頷くばかりでした。
禅宗系のお寺の玄関や手洗いなどには,「脚下照顧」と書かれていることがあります。
「履物をそろえましょう」と標語的に使われています。
自分の履物を揃えることは,そのまま自分の心の整えにもつながるのでしょう。
自分の心も落ち着きます。
「脚下照顧」において,「脚下」とは自分の足下のこと。
自分の足下を顧みるとは,わが身わが心を振り返り,自己の立場や自己をよく見極め,行動しなさいということなのでしょう。
心にゆとりをもてれば自分自身の姿がよく見え,自身が落ち着いて行動ができることなのだと考えられます。
玄関の整頓を見るとその家庭の生活の姿がよくわかるといいます。
履物がきちんと揃えられている家庭は,家族の生活・人間のやさしさや誠実さがにじみ出る姿であるのかも知れません。
改めて,私も,わが家の玄関を整理し整頓を心がけるようにしました。
心なしか,これまでと違って心にも落ち着きを感じるような気がしています。(H・H)