教育研究所
No.334 「想像すること」ということ(2012年09月05日)
私たちは,日々いろいろなことを想像する。
昔のことや未来のこと,自分の将来や友だちとのこと,まだ会ったことのない人や行ってみたいあこがれの国のことなどいろいろある。
過去の成功例について,なぜ,うまくいったのかを思い巡らすこともあれば,逆に失敗したことについて,もう少し想像力を働かせて仕事をすればよかったなどと反省することもある。
毎日学校に通っている子どもたちにとっては,学校生活が,安心で安全で,楽しい場であることを誰もが願っている。
それは子ども自信が自分の生きる力を伸ばし,有意義な学校生活を送ることを望むことであり,それは親や教師の願いに直結する。
ある子どもにとり,自分をいじめる子どもが学級等にいるために,安心して学校生活を送ることができないときがある。
その子どもは,自分の思いを理解しない,わかってくれないいじめの相手に対して,自分の思いをわかってほしい。
また,自分のことを,かけがえのない存在であることを想像してほしいと願っている。
「いじめ」ということの卑劣さは,どんなに人として恥ずかしいことかを考えてほしいと願っている。
先日の新聞(朝日新聞2012年8月17日)にタレントの春名風花さんが,いじめをしている子どもたちに対して書いた次のような記事があった。
「いじめは,いじめる子に想像力を持ってもらうことでしか止まらない」と自分の考えを述べ,そして,「想像してください」と,いじめっ子に次のようなことを訴えていた。
「いじめられている子どもが,人間として初めて立ち,歩き,笑った日に,両親はどんなに喜んだことだろう。
そんな大切な命を,君のちっぽけな優越感と引き換えてもいいのか。もう一度考えてみて」と,読んでいた私は,胸を打たれた。
自分の思いだけでなく,自分の周りの人に思いを寄せられるかどうか。
自分の周りの人の思いを想像できるかどうかは,すべての子どもたちが,安心,安全で有意義な生活を送ることが基本である学校にとってどうしても必要なことなのです。
私にも,苦い,つらい思い出がある。もう20年ほど前のことである。
一人の女子生徒が,相談に来た。「男子グループが,近くを通るたびに私に向かってウザいとからかいます」と泣きながら訴えてきた。
相手グループに繰り返し注意したが「いじめ」は,なかなか止まらなかった。
「相手の立場に立って考えなさい」と注意したり,クラス全体で話したり,いろいろ課題解決のために取り組んだ。
しかし,相手の立場を想像し思いやることには,つながらず解決するまでに時間がかかった。
その女子生徒が笑顔を取り戻して来たのは,行事が盛り上がりクラスが一つになり,授業でも協力的になって来た,次の学年を迎える頃であった。
春名風花さんの記事を読み,本当に考えさせられた。
そして,いろいろな機会を見つけて「想像すること」の力を身につけることの必要性と大切さを感じた。
特に相手の立場に立って「想像する力」を。(K・T)