教育研究所
No.329津波てんでんこ(2012年06月07日)
2011年の3月11日の東日本大震災の津波に関連して,最近感激したことがある。
その1「津波てんでんこ」
「津波てんでんこ」という言葉を初めて聴いたのは,大震災の後のことである。
大津波に際して,てんでんこに逃げて児童生徒が助かったことは,新聞報道やテレビで知った。
当時は,誰か防災の専門家が研究の結果に唱えた考え方・方法を学校が先導的に取り入れてそのような結果を示したものだろうと誤解していた。
ところが,東北地方には「津波てんでんこ」という言い伝えがあり,津波がきたら「てんでんばらばら」に逃げないと,家族や地域が全滅してしまうという教訓が生きた。
と,雲南市立斐伊小学校の陶山頼子校長先生が紹介していた。
これを,気仙沼市立中井小学校の松本尚人校長先生が,当地方には,「津波てんでんこ」という先人の教えがある。
津波のときは,各自が,だれにも頼らず,自らの命は自ら守りなさいということである。
しかし,てんでんこに身を守るには,各個人に危機を回避する力量が備わっていなければならない。
経験や判断力に乏しい児童であればなおのことである。と裏付けている。
我が不明を恥じるとともに,先人の教えを今の児童に教え,行動できるようにしている学校の校長先生と教員に頭が下がった。
本物の防災教育である。
その2「校長先生の嗚咽」
学校で津波に遭遇した際,瞬時の判断と機転の連続の中で児童全員を無事に避難させた大船渡市立越喜来小学校の今野義雄校長先生の手記に感動した。
そのうち2つを紹介する。
一は,「これまでも,『よく見聞きし,分かり,判断する』をモットーに行動してきたつもりだったが,今回のような即決は初めてであり緊張の連続だった。
校長としてこれまでの「判断」や「決断」がベストだったかどうかは分からないが,誰も津波の犠牲にならなかったことだけは救いである」と述べていることである。
「子どもの生命第一」の発想は,口ではいえるが,いざというときに,それを貫き,事実で示したことに感動した。
二は,全児童の安全確認後,学校の状況を教育委員会に報告に行った。
手記には,
「越喜来小学校校長の,今野です。
状況を報告に参りました。
と言ったものの,後は嗚咽で言葉にならなかった」
とある。
短時間のうちに起こった困難極まりない様々なことが去来し,何よりも全児童の無事が報告できることに,感極まったに違いない。
読んでいて,あふれる涙を止めるすべがなかった。
その3「児童が育っていた!」
強い揺れの中,机の脚にすがり耐える姿,校内放送に耳をそばだてる姿,教師の指示に従い整然と避難場所に移動する姿など避難訓練での行動が再現された。
また,校庭で寒さにじっと耐える低学年や同級生に毛布や防寒着をかけてあげる高学年の姿があった。
後日,そのことを褒めると「いつも先生に言われたとおりにしただけ」との言葉が返ってきた。
この児童の裏に,すばらしい校長先生(気仙沼小学校長)と教員がいる。
感激!(H・K)