教育研究所
No.328 とむらい(2012年05月23日)
教員生活の仕上げの時期にさしかかるころ,自分にも同期の朋輩にも,親の訃報や介護の報せが日常的に話題になったり届いたりした。
年回りとはいえ,互いの老父母の状況を苦い肴に,互いに切ない酒を酌み交わしたりする日もあった。
教え子たちがまだ若かった頃,その親御さんが逝去された時には後で知ることが多かったが,彼らが今やその世代にさしかかり,なぜかとむらいの報せが届くようになった。
かつての元気だった保護者の訃報である。
清めの後や,私的な会葬の礼状に「老いた母の思い出話の中で先生の話題がよく出た」とある。
もちろん,思い出の主役は幼い日々の教え子自身だろうが,当時の教員が脇役のように登場できたとすれば,それはそれで教師冥利に尽きる。
当時の思い出を語り,親心を語り,最も親子が密着していた時期をともに懐かしんで,悔やみを述べてくる機会が多くなった。
顧り見すれば,新前の教員時代には保護者の皆さんにずいぶんと助けられた。
日頃の家庭学習ノートを子供の宝物になるように育て,学習習慣を育てたいと,ノートに親と教師の一言コーナーを設け,毎日書き込んでいるうちに,子供のノートを中心に教師と親の交換日記のようになったこともしばしばだった。
よく励まされて,勇気をもらったものだ。
学芸会の衣装,運動会の体育表現の小道具作りなどはもちろん,社会科の学習などでは,遠い田舎から枝付きの,時期の果物や稲わらなど,教材に取り寄せてくださったことも少なくなかった。
こちらが,生きた教材をと,甘えたせいでもあるが。
子供のけんか両成敗を親自身が受けてくださったこともある。
個別面談が長くなって順送りに迷惑をかけたこともしばしばだった。
教え子たちから近況方向や子供の進路相談の電話が入る。
「お父さんは?お母さんはお元気か?」と話題を振り,「まだまだ元気ですよ」と聞くと安心する。
「母が保護者同窓会をやりたいと言ってますよ」と聞くと,実現したくなる。
同窓会と言えば,教え子たちの同窓会で,「先生,ツーショット!母に写メールを送るから」と,その場で返信の電話が来て,電話越しに親子面(?)談に発展することも少なくない。
つい先日も保護者の訃報を教え子から受けて,保護者同窓会をやらずじまいだったなぁと後悔しつつ,通夜に駆けつけた。
遺影のお顔はまだまだ若かった。(H・I)