教育研究所
No.314ヘチマ,「へ」「チ」「間」 ?(2011年07月22日)
節電の夏に,グリーンカーテンが注目を集めている。
横文字でいうと普及が早いらしいせいか,本来の日除け棚とか,日除け垣という言葉はどこかに行ってしまったらしい。
伝統的言語文化を重視する学習指導要領実施一年目に,妙な言語感覚を味わっている。
3年生で理科教材にヘチマを扱うのは,花の大きさ,雄花と雌花の区別,栽培時期と学期の関係などからほかに替わる適切な栽培植物がないからと思われるが,これもゴーヤに替えるところもあるという。
ヘチマダワシも化粧水も今や利用されないので,石油由来製品を購入することに比べてその節電価値は微々たるものなのだろう。
子供たちとヘチマを栽培していた頃に,身の縮む思い出がある。
子供たちの「へぇ」という顔を見たくて傾けていたうんちくが,全くの俗説だったことも知らず,とくとくと語り聞かせていたことだ。
《ヘチマは,たわしになるほどの繊維質の実をつけるので「糸瓜(イトウリ)」と呼ばれ,「イ音」が脱落して「トウリ」となった。
「ト」は,「イロハ‥‥」の「ヘ」と「チ」の間にあることから,「ヘチマ」という名前になった。》という語源説である。
これが,俗説に過ぎないというのは,「イトウリ」が信濃地方の方言として紹介されるよりおよそ二百年前に「ヘチマ」がキリシタン版の辞書に採用されていることが確認されており,時間が逆転しているのである。
落語の「ちはやぶる‥‥」ではないが,「相撲取りの竜田川」「花魁(おいらん)の千早」という,長屋の大家のうんちく話のようなものでしかないわけだ。
テレビの,タレントを回答者に仕立てたお勉強番組の人気が高い。
学者に,こうした俗説を解説させて「知ったかぶり」を作り出している風潮を見ると,「一説でしかない」と,「ここまで確認された」という学問の謙虚さを出演学者に求めたくなるが,教員も「疑ってかかる『知』の姿勢」を持つべきだと,遅ればせながら思う。
我が家の日除け垣は,今年は,ニガウリとハヤトウリ,江戸由来の伝統朝顔である。
だが,蔓生け垣の生長より熱暑の到来が早く,今のところ,節電は私の我慢との相関でしかないと覚悟を決めている。(H.I)