教育研究所
No.310 祈るということ(2011年05月23日)
未曾有の大災害が我が国を襲った。
東日本大震災のあまりの規模の大きさ,その破壊力に私は,ただ呆然とした。
自然の威力と同時にそれによって引き起こされた原発事故にたたきのめされた。
被害も甚大である。
お亡くなりになられた方のご冥福と被災された方々の生活と被災した地域の復興を心よりお祈りする。
大震災直後の私は,この事態に対しどうすればいいのか,心が震え,ただ祈るばかりという心境だった。
テレビ画面に映し出される映像から逃れたくなった時もあった。
被災された方々にとっては,逃げることも隠れることもできない現実であるというのに。
しかし,胸を痛め,ドキドキしながら見つめる画面の先に,子どもたちのけなげな姿があった。
たくましい姿があった。
元気で賢く,思いやり深い姿があった。
この姿に人間のすごさを思った。
家庭や地域の教育のすばらしさを思った。
学校教育のすごさを感じた。
被災者の人こそ恐怖と不安と喪失の悲しさの中にいるというのに。
人は自分の行動に躊躇したり,歩を踏み出せない時,自己の心の中で祈ることにより,心を落ち着かせ状況がよくなることがある。
「祈るということ」は,物事の解決を図ろうとするときや,これまで経験したことのないことに出会ったとき,また,考えたこともない状況に出会ったとき,人智の及ばないことに遭遇したとき,ただ心を落ち着かせ冷静に考えようと努めることでもある。
「祈るということ」によって自分自身が冷静になり,心落ち着き,ようやく,事実を見つめようとすることができる。
それにしても今回の大震災は,被災地域は広く多様な課題をもっている。
さらに津波や地震によって引き起こされた原子力発電所の事故がある。
その一つ一つの課題はとても大きい。
だからといって逃げることはできない。
人の生命がかっている。人生がかかっている。
生活がかかっているのだから。
「祈るということ」は,こい願い考えることへ,そして行動することへもつながっている。
自分のすべきことやできることを問いそして考え行動に移したい。(K・T)