教育研究所
No.303「一歩踏み出す」ということ(2011年01月21日)
新しい年を迎えると,心改まり新しいことに挑戦しようとする意欲が湧くことも多い。
自分にとって未知な世界に挑戦すること,あるいは,いくつかの中から一つを選び取って踏み出すことは,新年に限らず,人生では常に起こりうることである。前向きな意思をもって一歩足を踏み出す。
そして,その行動の積み重ねが,一人の人間の足跡となり,人生が創られていく。人生の締め括り時に「こういう航跡を残せて悔いはない」「こういう人生を生きられてよかった」と言えることは,誰しもの願いであろう。
勇気をもって未知の世界に足を踏み出す時,大きなエネルギーが必要である。
私たちは,自信がなかったり,エネルギーが不足している時は,一歩踏み出すことですら,先延ばしにしてしまうことがある。
気になりながら「まだ時間がある」と逃げたくなってしまったりする。
また,一歩踏み出す時,そのことについて知るために,本を読んだり,聞いたり,身近なモデルを観察する等いろいろやってみる。
調べたり,考えたりした結果も,重要な一歩を踏み出す力になる。
また,まわりの人に背中を押してもらうことによって踏み出せる場合もある。
しかし,最後に踏み出そうとする力は,自分の中から湧きでる「やろう」という思いや意欲である。
その上で,自分の心に「何かおもしろそうだと」か,「わくわくするような強い関心や興味の気持ち」が湧いてきた時は,躊躇せずに前へ踏み出すことができる。
私自身のことである。
若いころを振り返ると,自分のやりたいこと,やりたくないことにかかわらず,「やるべきこと」のみに捉われて踏み出していたことも多かった。
「~をしなければならない」ということに気持ちが縛られて,相当無理をしていたこともあったように思う。
そして,自分ばかりでなく,まわりにも無理を強いてきたこともあった。
これを「したい」というよりも「しなければならない」ことをやっているうちに時が過ぎてしまった,という時期があった。
そのころ先輩からこんな注意を受けたことを思い出す。
「Mustでいつも一歩を踏み出していると,後でつらくなるよ」と。
例えば,合唱祭の練習で,いい合唱を創り上げたいという思いが先行して,気持ちは未だ盛り上がっていない子どもたちに,無理矢理朝練習を強いて,やる気を失わせたこともあった。
教師としての理想だけを自分に思い描き,まわりに押しつけてしまっていたのだろう。
年輪を重ねて今思うことは,勇気をもって未知の世界に挑戦し,ことに当たる時,自分だけの「Must」に捉われず,実態をよく知り理解し,他の人の考え方をもっと受け入れた上で,自分の中から湧き出るものを信頼し実行することが大切だと思うようになった。
その時,自分の中にたまった自信とエネルギーが,一歩踏み出す大きな力になると思うからだ。(K・T)