教育研究所
No.300 落としすぎる洗剤(2010年12月08日)
育ち盛りの孫が複数いると,汚れ物の量も尋常ではない。
「自分でさせなければ駄目よ!」と,老妻に叱られながら時々,運動靴洗いを手伝うことがある。
これが,びっくり。私の子どものころとは違って,洗剤をつけ軽く束子で擦ると,いとも簡単に汚れが取れてしまう。
加齢現象甚だしき我が腕でも,簡単に運動靴をピカピカにすることができるので,孫たちからは,「ジージ,この前はありがと!また,靴を洗っておいてよ」と,歓迎されているのだが,老妻の小言を浴びる回数が増えている。
ところが驚くことがおきた。
この洗剤を使った汚水を,「モッタイナイ」と,大事にしていた寄せ植えの鉢に捲いたところ,びっくりするくらいの効き目があった。
淡い橙色の花の咲くボケ,ためしに種を埋めたら目を出したアボガド,故郷の海岸から種を持ってきて植えたハマユウ,そして,紫の可憐な花をつけるクマツヅラ科のジュランダ・タカラヅカまでもが,枯れてしまったのである。
この洗剤,運動靴の「しつこい汚れを落とす」だけでなく,大事にしていた植木の「生命までも落とす」優れもの(?)だったのである。
身近なことから,環境問題について改めて考えさせられた。うかつに,台所の洗い水や洗剤などを使った汚水を,植木にやることは考えものである。
ましてや,家庭の庭で,ささやかに育てる梅,みかん,ブルーベリー,野菜などに,エコだと言うことで,むやみに水をやっては,肝心の人間までもが被害をこうむることになりかねない。なんとも恐ろしいことである。
このことから,工場の薬品が混じった水,産業廃棄物から染み出した汚水,農薬などが,森林や農地を汚し,河川や湖に流れ出て,そこの生物への計り知れない影響,海に流れ込んで生態系に及ぼす悪影響を想像する時,恐ろしい気がしてくる。
レイチェル・カースンの『沈黙の春』や有吉佐和子の『複合汚染』の事実を基にした人類への警鐘に,敬服するとともに,私たちは,便利さと効き目にもう少し敏感にならなければならないと反省するこのごろである。(H・K)