教育研究所
No.297逃げるということ(2010年10月20日)
毎日を過ごしていく中で,判断を迫られることがある。
瞬時に判断して,行動すべきことを,どうしようかと考えて,後回しにしてしまう場合がある。
後で考えると,すぐにそうすべきことと分かっているのに,後回しにする。
そう思うのは,もう少し時間があれば,その行動を取らなくても解決できるだろうからと,自分を納得させてしまっていたからだ。
校長在職中の出来事だった。
中学3年生の担任から,「クラスの生徒の顔にアザがあり,話を聞いたところ,部活動の顧問による体罰が原因ではないか」ということだった。
担任が勇気を持って連絡してくれたことはよく分かった。
本人から話し始めないことについて,同僚の教師の問題のある行動について報告,連絡するのには,勇気がいるからだ。
すぐに,生徒本人に会い,話を聞いた。
顧問からも事情を確かめ,保護者に連絡をした。
そして,養護教諭と連携して病院に連れて行ってもらった。
幸い大きな傷ではなかった。
心配した保護者は,すぐに他の保護者と一緒に学校に駆けつけてきた。
保護者との話し合いの中では,ケガ以上に,日頃からの部活動運営に関する不満が爆発した。
今後の部活動運営,指導体制についてどうするのかと迫られた。
長い時間,保護者と話している中で,すぐに教育委員会に報告することを怠ってしまった。
「すぐに報告すべきだ」ということが気になっていたのにもかかわらず,心の片隅に,保護者との話し合いの中で,うまく解決できるのではないかという慢心があったような気がする。
また,地域からも多くの協力を得ているので,今回も今後のことについては,地域の人たちや地区の体育協会の協力を得れば解決でき,大きな問題にはならないのではという願いや甘い判断があったのかも知れない。
その日の話し合いは,夜遅くまで続いた。
教育委員会に連絡しないまま,その日は終わってしまった。
翌朝,教育委員会から連絡があり厳しい注意を受けた。
地域の方から連絡があったという。
日頃から報告・連絡・相談を忘れずにと職員に対して,話していたのに,一日延ばしにして逃げてしまった自分のことが切ない気持ちだった。
このトラブルは学校内で解決できるという慢心と,それよりも内部で解決してしまいたいという,私自身の「逃げ」があったのだろう。
結果的には大きな問題にならなかったが報告・連絡すべきであるという大原則から逃げてしまったことになった。
あの日の苦い思い出に身を正す思いで,この稿を起している。
何事においても,基本を忘れることなく,万全の処置をすべきであるということは言うまでもないこととして。(K・T)