教育研究所
No.294緊急避難的な常態?(2010年09月08日)
NHKの早朝のニュース番組の中で,視聴者の投稿するビデオを紹介するコーナーがある。
先日,ある保育園の夏イベントの肝試しが放映された。
保母さんに連れられて数名の幼児が暗闇の中を歩いている。
おどし役の保護者が飛び出すと,子どもたちは大パニックだ。
大声で泣きながら逃げ惑う姿は,気の毒だがほほえましい映像だった。
ところが,ちりぢりになりそうなあるグループで,4~5歳のひとりの女の子が,「まって!」と周りに大声で呼びかけたのだ。
凛とした声で,「おちついて!」と自分と保母さんの周りにグループの子どもを集め,かたまりになって暗闇を乗り切っていく小さなおねえちゃんの姿は頼もしく,感心させられた。
コメントによると,普段目立たない存在だったこの子,その後,少しずつリーダーシップを発揮し始めているという。
小中一貫教育の先鞭をつける活動を模索していたころ,隣接の中学校と合同避難訓練を実施した。
訓練が慣習化してだらけきった中学生の姿を小学生に見せても何の益もない。
居住地域別の集団下校を中学生が引率する形を作るのに2年かかった。
中学生の一次避難所を小学校の校庭に指定して,教室に待機する地域別の児童を中学生が迎えに行き,連れて来てとなりに整列させる。
小学校側の責任者としての訓話の機会に,その気になった彼らに問いかけた。
「隣の小さい子の手を握って,顔や体を見てほしい。
泣いていないか。
唇は紫になっていないか。
パニックになって,駆け出そうとして擦り傷や打ち身はないか。
足は震えていないか。
おしっこを漏らしている子はいないか。」
本当に避難しなければならないときに,君の隣にいる子はそうなるんだ,それが小学生なのだ,と。
中学生の本気と,リーダー性の発揮を期待しての指導計画であり,訴えだった。
さて,社会の変化が加速度を増し,政治や経済の動きに連動して,教育も近年とみに緊急避難的な改革が強調されるような気がするのは筆者だけだろうか。
本道が狭くなった上に辻々からの飛び出しが相次ぎ,左に右にハンドルを切らざるを得ない状況とでも言おうか。
飛び出してくる事件や調査(によって顕現した多様な欠如)に対応するためだけの善後策が朝な夕なに打ち出されている。
生徒指導にしても学力にしても,「改革」が慣習化して緊急避難にさえ慣れきって常態化した日々の営みからは,教育実践の「本道」を見失いかねない。
あの幼い少女や中学生のように,凛として,落ち着いて,目の前の子どもに正対する教室の足元から,教員たるリーダー性を自分に課そうと思う。 (H・I)