教育研究所
No.291「お皿の底を洗うこと」ということ(2010年07月21日)
食後の片づけは,時としておっくうなものである。
お腹は満腹になり,動くのがおっくうになる。
でも,ほっておくわけにはいかない。
食器を洗い出す時にいい加減な気持ちではじめると,お皿はきれいにぴかぴかになるとは限らない。
何となく洗ってしまって,お皿の底に汚れや,食べ物の滓が残ってしまう時がある。
汚れが付いていたり,食べ物の滓が残っていると,下に置かれたお皿に汚れを付けることになる。
表面からは,見えないところもきれいにしなくては,お皿洗いが終わったとはいえない。
どんなにおっくうでも,仕事を始めたら,最後まで,見えないところまできれいに仕上げなくてはいけない。そうでないと仕事をしたとはいえない。
10年ほど前,新設開校した中学校で初めての研究発表会を開催することになった。
教職員が一丸となって準備を進めていた。もちろん研究発表の内容の検討に多くの時間を割いた。
さらに来校した人たちに,気持ちよく過ごして頂くための会場の準備にも念を入れた。
研究授業や研究発表のために使う場所ばかりでなく,学校全体を開放してお迎えしたい。
そんな気持ちで学校中をきれいにした。
お客さんを迎える家と同じである。
研究会が終わり,保護者の方から
「研究授業に使用しない教室もきれいなのでびっくりしました。
なんだか感激しました」
と話して下さった。
ほめられるとは思いもしなかった。
私たち教職員は,いろいろな方に訪問して頂くに際して,学校全体をすべてをきれいにしてお迎えしたいという気持ちからの行動であったのだ。
そんなこともあり,私たちは,保護者からの一言をとてもうれしく感じた。
私は,現在もいろいろな学校を訪問する機会がある。
学校によって環境はいろいろである。
校舎が新しく設備がすばらしい学校だったり,そうでない場合も多くある。
しかし,その環境に心を込めて手が入れてあるかどうかは,別である。
心を込められて校内が大切に扱われている姿を目にする時,快い気持ちになるのは私だけではないと思うし,その学校は,他のあらゆることに心を込めて取り組んでいるように感じる。
いつも,小さなことにも心配りができるような目を持ちたいと思う。
気がついたら,それを実行する力を持ちたいと思う。
まずは,お皿の底を洗うことをないがしろにしないことから始めたい。
見過ごしていることがないかどうか,気がつかないで大事なことを見落としていないかどうか,自省してみたい。(K・T)