教育研究所
No.281 決断をくだすということ(2010年02月18日)
我が国の首相の決断力について取りざたされている。
一国のリーダーとして,明確に意見をまとめきれずに,決断を先延ばししているという見方が理由のようだ。
学校でも,日々決断を求められることがよくある。決断の積み重ねといってもいい。
思い出すことがある。
校長として迎えたある年の年度末のことだった。
新年度に向けての学級編成について課題が持ち上がった。
中学2年生の生徒数名が他校へ転出することが判明し,数字に照らすと,この生徒たちが3年生に進級するときは,学級減になるという状況になった。
しかし,私は,2年生から3年生になる時点では,学級編成を行わず,現状のままであれば,学級数を減らさなくてもよいという特例があることを知っていた。
普通に考えれば,「学級数が減らず,現状どおりに1学級の人数も少ないままで維持する」「教員数も減らさなくてもよい」というこの特例に則る結論がよいに違いない。
しかし,このことを踏まえても私には,いくつかの理由からこの決断を躊躇させるものがあった。
ある保護者からは,「うちの子は,今の学級でうまくいっていない。ぜひ学級編成替えをしてほしい」と訴えがあった。
また,ある教師からも,「このままでは,うまくいっていないクラスからほころびが出ますよ」と危機管理上の忠告もあった。
私は悩みに悩んだ。
「混乱した事態になったらどうするか」
「うまくいっていない生徒にはどう対処するか」
と悶々とした状況が続いた。
しかし,最後に決断したことは,
「学級編成替えはしないで,今の学級のままで新学年を迎えよう」
ということだった。
生徒たちのためになるのは,どちらかと考えての決断であった。
決めてしまうと,私の心持は,嘘のように晴れ晴れとした。
うまくいかないことが出てきたら,改めて決断すればいいのだと,ある意味で開き直れて元気を取り戻すことができた。
私は,どのような事態が起きたとしても,これまで様々な立場の人の意見に耳を傾け,校長たる自分が決断したのだから,結果における責任は私が取ろうと覚悟を決めた。
覚悟が決まれば,危惧された事態に対して打つ手が次々に浮かんできた。
結果的としてこの決断がうまくいき,この学年は晴れ晴れとした卒業式を迎えることができた。
私たちの日常生活でも「決断をすること」の連続である。
何かことを行うにあたり,一番必要なことは,決断にかかわる時間のことであろう。
多くの人の意見を聞き,情報や状況を分析し,それをもとに思考し,逡巡しあるいは苦悩することも多いからだ。
よりよい決断をし結果を得るには,状況をよく捉えること,判断するための学習をするだけでなく,自己の見栄やプライドにこだわらず,他人の思惑に縛られ過ぎない冷静な自分であることが大切だと思う。
決断には,リスクや責任が伴う。
しかし,結論を下したからといって,変更できないわけではない。
必要な時には,変更する勇気ももちながら,決断を遂行していくことがいかに大切かと考える昨今の私である。(K・T)