教育研究所
No.277 授業の始まりと終わりの言葉(2009年12月21日)
「では,始めましょう。日直さん,お願いします」
と先生が声をかける。すると日直の子どもが全員に声掛けをする。
通常,二人の日直の子どもが一斉のせいで声を揃えて同様に発声する。
「これから5時間目の授業を始めます。礼」
よく見かける光景なのだが,なんとかならないものかと思う。
「5時間目の授業」は毎日行われているのであり,日直の子どもは何も考えずに形式的に発声している。
「これから始まる5時間目の授業」は,極端な言い方をすれば一生に一度しかない授業のはずである。
そのときめきや期待はないのだろうか。
いや,5時間目の「授業」の主体は先生であり,子どもたちは受け身になっているのである。
本来であれば,教師からは「授業」であっても,子どもの立場からは「学習」であるはずだろう。
自分たちのこれからの学習することは何か,どう学習するのかについて,導入の教師の話を聞くまで予想がつかないなどということであってはならない。
例えば,3年生の国語「ごんぎつね」の学習であれば,「これから,『ごんぎつねの』の〇〇の場面の,ごんと兵十の気持ちを考える学習を始めます」と言うのが望ましいと考えるがどうだろうか。
これを子どもが言うようにするのには,前時の学習の振り返りの際に,現場面の学習のまとめをするとともに,次なる場面の学習の課題や見通しがもてるようにすることが必要である。
学習が子どもの頭・体の中でつながるようにすることである。
そして,日直当番の子どもは考えてこの時間に学習することを発表する。
全ての時間がそうなることで,子どもたちは授業を受けるといった受け身の姿勢ではなく,学習は自分たちで進める・創るものだということを実感する。
こうした授業・学習では,1時間の終末に学習の振り返りをきちんと行って評価し,分かったこと・解決できたこと・新しく発見したことなどを明らかにしたり,残された課題を確認したりすることや,本時によかった発言や話合い,学習活動などを評価したり,次には改善すべきことを確認したりする。
そして,これらを明確にすることは,家庭学習での予習や復習の内容を明確にすることにもなる。
当然のことながら,1時間の終わりの日直の声掛けも変わってくる。
「この時間は〇〇について学習しました。
私が大切だと思ったことは□□です。
この次の時間には△△を学習するのが楽しみです。
これで終わります」(C・T)